最近読んだ渡辺一夫の『敗戦日記』に触発されて読んだのがこの小冊子の物語である。彼が戦時中の日本で呻吟していた頃、日本では日本浪漫派による文学の潮流があった。それでは第二次世界大戦の主な戦場となったヨーロッパではどのような文学が生まれていたのだろうか。それぞれの国で特異な事情はあるのだろうが、このフランスの二つの物語はとても示唆に富んでいる。
加藤周一は後書きで、著者のヴェルコールという人物について戦前はジャン・ブリュレルという名の画家であったと語っている。岩波文庫に収められているのは1942年の『海の沈黙』1943年の『星への歩み』で、1946年の『夜の武器』で完結する3部作の最初の2作である。
いずれの作品もフランス人である『私』が当時を語るという物語形式をとっている。時代は1940年にナチスドイツによってフランスが占領された以降のことで、物語はフランス人のドイツ占領に対する抵抗を描いたとされるが、ことはそれほど単純ではない。この物語には当然ながらフランスが善でドイツが悪というフランスの戦意高揚を目的とした二分論は存在しない。『海の沈黙』では敵国のドイツ人将校のなかに人間のもつ普遍的な価値観を認めているし、『星への歩み』では同胞であるフランス人の中に他国人やユダヤ人に対する排他性と差別があることを描いている。私はこの二つの作品はいずれも裏切られ、敗れ去る人々についての物語という側面があるように感じた。それでは彼らは何に裏切られ、敗れ去ったのだろうか。そして本当に彼らは敗退したのだろうか。
戦時にはその国家は真の姿を国民の前に晒す。普段は国家の意志などというようなものとはほとんど無縁なところで私たちは日々の生活を営んでいる。それが戦時には一変する。戦場になればすべての生活は危険にさらされ、自らの生命や生活を守ることすら覚束ない状況に突き落とされる。
『海の沈黙』はフランスの地方都市にドイツ軍が進駐し、ある家がドイツ軍将校の居宅として接収されたところから始まる。そこには「私」という初老の男とその姪である若い娘が自分たちの生活習慣を守りながら日々を送っていた。そこにやってくるドイツ人将校、彼の本名は後半部分でやっと明かされることになるが、前半部ではただドイツ人将校とのみ呼ばれる。彼の個人としての存在をあくまで拒絶しようとする二人の強い意志のもとに。
物語の前半はもっぱらドイツ人将校の一人語りで終始する。「私」とその姪は彼と口を利かないことで自らの抗議の姿勢を示そうとする。しかし彼は娘をフランスと重ね合わせながら言葉を紡いでいく。「羽音のような声を静かに出しながら」、自分の素性、信条、そしてフランス文学や思想への憧れを語る。また彼はその「家の佇まいの中に魂がある」と語り、そして『美女と野獣』の物語を例に挙げながら、「フランスの沈黙はかえって憎む心が消え結合していく契機になる」と娘に語りかける。
彼は自分が作曲をする人間であることを明かし、バッハを「自分の中に神が現れた」ように偉大に感じるが、自分はこの家に住むようになって「人間の尺度で測れる音楽を作りたい、それも真理に到達する一つの途」と感じるようになったと語る。そこには自国の価値観を唯一とする偏狭な考えではなく、真理へと到達する方法として様々な多様性を認める生き生きとした思考がある。
彼の本名はヴェルネル・フォン・エブレナク、それが初めて現れるのは「百何日という冬の晩」も終わりに近づいたころである。そこでようやく彼ら三人の間には相手を人間として認め合う共通の基盤が出来上がったことを示している。彼は「本当に偉大で純粋な人間になるのにはフランスから教えてもらうということ、ヒットラーも友人も偉大な思想を持っているが、孤独になると蚊の足を一本一本もぎ取るような暴挙に出る」と語る。そしてそれをとどめるには愛が必要であるとしてフランスと娘に求愛するのである。彼は休暇でパリに行くまではまだドイツとフランスの融和政策が成功するであろうとの希望を捨ててはいない、純真な子供のような素直さで持って。
しかし、彼がパリから帰り、そこで見聞したことを語る部分は悲劇的である。彼の前で繰り広げられたパリでのドイツ人たちの言葉,「フランスを叩き潰す機会を掴んだのだ。力だけではなくその魂を。あの魂が一番大きな危険だ。こっちの笑顔とこっちの労りで腐らせるのだ。あの魂を、這いまわる牝犬にするのだ」それを再現し、「連中は言っている通りにやりますよ。連中はシステマチックに頑強に」と続ける。そして自らロシア戦線に転属を希望したことを告げる。この時の沈黙を「下にはただむごたらしい抑圧だけがあった」と「私」は語る。しかし、姪の娘が最後にそして初めて発した「ご機嫌よう」の言葉、それはかつての「丁度水の静かな表面の下に海の動物の乱舞があったよう」な沈黙と明らかに連続したものである。言葉を交わすことはなかったが、彼らはもうすでに充分過ぎるほどに共感を分かち合っていた。このことは、人と人との信頼、愛を示唆し、あの人間性をつぶすような冒涜的な言葉を凌駕していく。彼と娘を繋ぐ何ものも邪魔することのできない「一本の糸」が私たちの希望を繋ぐ。
ヴェルネルの転属を知って語り手の「私」が呟く言葉は忘れることができない。「こうやって屈服するのだ。奴等は他のやり方を知らない。みんな屈服する。この人さえも」彼は他のやり方という言葉で具体的に何を示そうとしたのか。渡辺一夫は『敗戦日記』のなかで、戦時中の日本で人間が尊重されず虫けらのように圧殺されていく現実を慨嘆し、「文明とは人類に属しているという個人の自覚であり、人間の条件を両面のたかめようとする物質と精神両面の努力である、この文明に無自覚なことがこの壊滅的な敗北を招いた一つの要因ではないか」と記している。彼は幸いにしてあの戦争で敗れ去ることはなかった。国は敗北したが、自分は『日本の敗北の後に自分の第二の人生が始まり自分を役立たせる機会が巡ってくるはずだ」という信念を拠り所として生き抜いていった。それに対してこのドイツの将校はほかのどの道を選択できたのだろうか。彼はフランスが文明を体現しており、その助けを借りてドイツも協調してその文明の一翼を担えるのではという期待を抱いていた。しかしそれが適わないと悟った時、軍隊に身を置く彼にはどのような道が残っていたのだろうか。
ドイツも日本もここでいう「文明」からは離れたところで後戻りできないほどに進路を誤ってしまった。これからを考えていくとき、渡辺一夫の「それが人間にとって何になるか」という国家主義を越えたユマニスムの問いかけが大きな拠りどころになるのではないかと思う。それが欠落した時、人間の集団は取り返しのつかない袋小路に入り込む。ドイツや日本の敗戦に至る過程はそれを如実に示しているのではないだろうか。