『死の家の記録』を読んで


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最近、ドストエフスキーの『死の家の記録』を読了した。 今まで読んでいた彼の作品『カラマーゾフの兄弟』や『白痴』 の中で言及されているテーマがこの作品の中に先駆けとして現れて いることに気づかされた。これは彼の書いた創作作品である。 妻を殺害して懲役囚になったゴリャンチコフの書いた監獄生活の体 験記という体裁をとっているが、文中を読み進めると、 この人物の造型は次第に鳴りをひそめ、 政治犯であったドストエフスキーの実体験が基になっていることが 明らかになってくるのである。

ルポルタージュと創作の違いについては大江健三郎が『 新しい文学のために』のなかで語っている。 文学はルポルタージュとは異なり、知覚を難しくし、 長引かせる形式の手法であり、 ものが作り出される過程を体験する方法であると。 確かにこれがルポルタージュの形式を採っていたのなら私たち読者 は対象を外から眺めることに終始したのかもしれない。しかし、 この作品を読む私たちは自らも彼の収監されたオムスク要塞監獄で 250名余りの囚人たちの中に放り込まれ、 そこで四年余りの生活を余儀なくされるのである。初めの一年は“ 恐るべき身を食むような侘しさ” の中で彼は周囲の人々からいかに自分を守るかということに心を砕 くが、次第に過酷な体験の中で彼の思考が深まり、 彼の魂が繊細でかつ強靭なものに変化していく様はこの作品の大き な魅力である。

ドストエフスキーは1849年、 ペトラシェフスキー事件で逮捕された。銃殺刑を宣告されたのち、 刑の執行直前に恩赦により減刑されてオムスク監獄に送られ、4年 の懲役刑に服したという。まず、 圧倒されるのは監獄で囚人たちのおかれる環境の苛烈さと、 そのなかで蠢く囚人たちの思いもかけぬ多様な人間性の描写である 。

この作品が週刊新聞ロシア世界に連載を始めた頃、 検閲局の許可を得るために差し替えの原稿として用意された補足原 稿に、監獄生活について語られた忘れられない記述がある。

彼は聞いた話として、警察が野犬狩りをし、30頭ほどの元気のよ い犬どもを檻付馬車に詰め込んで運んでいったが、 その間に檻の中は身の毛もよだつようなものすごい喧嘩になったと いう。 そして彼は監獄をこの野犬狩りの檻付馬車になぞらえている。“ 足には足かせ、周りはとがった杭の柵、 後ろには銃剣を持った兵隊、太鼓で起床して棒鞭を食らって働く” 、そして“身には烙印, 髪は剃られ、身分権も剥奪”というわけだ。 囚人たちは自由を失い、 自分たちの人生が絶望的であることを否応なしに悟らざるを得ない 。その自由を贖うものとはなんだったのであろうか。

この当時の監獄生活では金が恐るべき意味と力をもち、 囚人たちは博打や喫煙、 果ては酔っぱらうことすらもできるのだという。 彼らは自分たちの得意とする技、 靴職人や仕立て職人であったりするが、 そうした技を監獄の内と外で他人に提供することで小金を稼ぐので ある。なかにはユダヤ人のイサイ・ フォーミーチのように高利貸しまで監獄の中で始めるものもいるの だ。主人公はそれを、金で看守を買収したり、 酒を飲んだりすることで金よりもっと大事なもの、 自由をそれで贖うのだという。 それがなければ人は生きる意味を失い、無気力になると。 この彼の指摘は示唆に富んでいる。私たち人間の一番大切なもの、 守るべきものは何かということは現代に生きる私たちの切実な問題 でもある。 私たちの生活も金であがなう自由の恩恵に大いに浴しているが、 やはりそれだけでは満足できないものがある。

初めの一カ月のあいだ、彼は剥き出しの板寝床、 むっとするような悪臭、呪詛の言葉と恥知らずな笑い、 密告に度肝を抜かれる。 そして何より彼を疎外に追い込んだのは自分が貴族階級に属する人 間であるということである。 農奴や兵士から成る多数の囚人たちから相手にされないどころか、 時に憎しみをもって迎えられた。 この壁は最後まで彼の前に立ちふさがる。 彼は最初の何年かこの自分に向けられる執拗な憎悪から逃れるため に監獄内にある病院に入院したという。 もちろん幾人かの貴族の囚人はいたが、 彼らとても個人的にはなかなか打ち解けた関係までには至らず孤独 は深まっていった。 当時の社会構造としての農奴制は農奴解放令が出る前夜で制度は行 き詰まりを見せていたが、 多くの民衆はその制度の軛のもとで苦しんでいた。 貴族階級に対する不満は極限まで高まっていたのであろう。 結婚の初夜に自らの花嫁を地主に奪われ、 そのため地主を殺害した仲間の懲役囚のことも語られる。 そして実際に貴族階級には鞭打ちなどの体刑罰がないなど、 当局からより注意深く慎重な扱いを受けていたという。

彼は述懐する、 私が民衆とじかに向かい合ったのはこの時が初めてで、 異世界にほうりこまれたように驚きうろたえ、 実体験がもたらす印象は知識や伝聞とはまったく違うと。

そうした憎しみのなかで彼はいかに自らの自尊心を守ろうとしたの だろうか。 まずは内なる感情と良心の命じるままに振舞おうと決心する。 そして彼を狂気から救ったのは全てを貪るように観察しようとする 意志であった。“所詮、 自分の鼻先で起こっていることですら多くを見逃すであろう” としながらも彼は観察者の矜持を保とうとする。そして“ 人間がいかに化け物じみた適応力を持つかを予感” するようになり、囚人たちは“ 監獄の外に残っているほかの人間に比べてそれほど劣っているわけ でもないかもしれない”という境地までに思い至る。 そして自分の命を救うために囚人に課せられた土木作業などの労役 と監獄内での運動を自覚的に試みるようになる。 出獄後も生きていられるように。

その境地に達した彼は次第に周りの得体も知れないと感じていた囚 人たちの一人一人を次第にくっきりと認識できるようになっていく 。その過程は読むものにとって刺激的でもある。 初めは囚人たちをむっつりと押し黙っているものと異様にはしゃぎ まくっているものという二大類型にしか認識できなかった。 しかし、次第に様々な人間たちをつぶさに観察し始める。 そして彼らに直接疑問をぶつけ、 引き出した答えを検討することによって彼らをより深く理解しよう と努めていくのである。

彼は、幾度も250余名の囚人たちを様々なグループに分類しよう と試みるが、 そのたびにその試みが無益に終わるだろうという懐疑の念に捉えら れる。 それぞれの人間には集団内での振る舞いなどに見られる外面的な要 素とそれだけではなく他からなかなか窺い知れない内面生活がある ことを認識し、時々その内なるものが思いもかけず、 立ち現れてくる瞬間を感じ取ることができるようになっていく。時 には無教養で抑圧された階層と蔑んでいた人間のうちに思わぬ豊か な感情の迸りを発見する。 また逆に教養がありながらもそれが野蛮で残虐な精神と共存してい ることがあることを身をもって感得するのである。 彼の個々の囚人たちへの言及はとても興味深い。完全な野獣で、 精神が鈍く肉体があらゆる精神的素質を抑圧し、 肉の快楽に対する荒々しい渇望しかみとめられない男、その逆で内 に秘めた精神のエネルギーが肉体を強力に支えており、 復讐や目指した目標の達成を求めている男、 どんな社会階層にもみられるいつも集団内で下働きをする一文無し の裸虫のような男たち、 何事にも完全に無関心である男などである。

そして彼は自らに二つの深刻な問いを発するのである。

第一のそれは同様な犯罪に対する処罰の不平等という問題である。 刑期には差があるが、 人の性格が多種であるように犯罪も多様であるとし、 次のような例をあげる。ただ自分の快楽のために子供を殺す、 好色な暴君の手から自分の花嫁を守るために殺す、 街道で人を殺してたった一つの玉ねぎを奪う、 それらのひとが同じ監獄にいる。 そして刑罰の結果そのものも差異があると。 刑罰の前に自分の良心の痛みから死ぬほどの苦しみを味わう人間か ら、 自分の犯した殺人のことをまるで歯牙にもかけないような人間まで いることを実際の監獄の囚人仲間の中に見て取るのである。 果たして刑罰の効果はどのように考えるべきかと彼は自問する。 これは死刑の廃止の是非にもつながる現代的な問題である。

第二は体罰刑がもたらす大きな社会的影響である。 体刑罰には棒鞭と枝鞭があり、 それで囚人の背中を打つのであるが、 医者が臨席し死の直前まで執行されることもあったようだ。 体刑の執行官としてのジェレブヤートニコフ中尉についての記述は おぞましい限りである。彼は体刑の芸を愛し、 手の込んだ工夫や仕掛けを自ら案出して楽しんでいた。 血と権力は人を酔わせて理性と感情を喪失させ、 ついにはそれを快楽となすとあり、 併せて人間が他の人間を体刑に処す権利は市民社会の芽を摘み社会 を解体させると指摘する。 歴史にはそのような暴君は枚挙に暇がないが、 このような傾向が誰もにあるとすれば、 人間性の持っている負の側面には思わず目をそむけたくなってくる のである。

また、描かれる囚人の多様な出自にも刮目して驚かされる。 農奴や兵隊、貴族いう階級の違いはもとより、職種、 民族の異なった多様な人々が登場する。 ポーランド政治犯からイスラムのチェルケス人、 ロシア人に反乱を企てたということで捕らえられたダゲスタンのタ タール人、 宝石細工職人で金貸しのユダヤ人など数え上げればきりがない。 まさに当時からロシアが混沌とした多民族国家であったことを証明 しているのではないだろうか。

この作品のなかでは幾つかの特に印象に残る場面があった。 そのひとつは彼らが公衆浴場に入浴する際の様子である。 奥行きも幅も12歩ぐらいの部屋に100人ほどの囚人が足かせを つけたまま一度に入浴するのである。彼は次のように記述する。 もしそろって地獄に堕ちることがあったとしたらきっとこの場所に そっくりだろうと。 彼らは一刻も足かせから逃れることはできないのである。そして、 キリスト降誕祭に行われる監獄の囚人たちによる劇の描写はこの作 品のハイライトである。降誕祭を獄中で祝うことは、 たとえ自分が監獄にいても世間の人々とともに祝うことで世間と繋 がっていることを確認できる大切な機会のようだ。 あちこちから施しものがあり、 町の主婦が作ったパンやクッキーが均等に分配されるのである。 彼は、囚人の間には友情は皆無で素気ない付き合いしかなく、 それが正式の作法だというが、 この観劇の最中には笑いや感情の爆発があり、 確かに彼らは心の底から舞台を楽しみ、 同じ監獄の囚人の演技にエールを送るのである。 ロシアには民衆演劇の伝統があり、 地主階級はそれぞれ自前の劇団を持っていたという。 足かせは填められていたとしても、 入浴はまさに肉体の解放であり、 観劇は精神の解放に繋がっているのではないだろうか。 いずれも人間の自由の両輪をなすものである。

そして囚人だけではなくその周辺にいる人々を様々なかたちで描き出 している。登場する女性はそれほど多くないが、ナスターシャ・ イワーノブナーは自身も貧しいのにもかかわらず、 囚人たちに幾多の贈り物を施し愛が何であるのかを体現する女性で ある。

また監獄の所長の少佐も忘れることができない。 彼は酔っぱらいで喧嘩早い無法者でその残忍性で囚人たちを心底震 え上がらせた人物である。 囚人を押さえつけることは自分の小心さから出ていたようであるが 最後は裁判に掛けられ罷免された。

この両極端ともいえる二人の人間は、 人類という種がいかに多様性に満ちているかという人生の奥深さを 想起させるものである。

最後にスシーロフのエピソードでこの小文を終わりたいと思う。 スシーロフは屋敷付きの農奴だった男で、 懲役囚ではなく単なる強制入植者であったが、 銀貨1ルーブリと赤いルバシカと引き換えに特別監房送りの重罪人 の身代わりになった男である。 他の囚人仲間から嘲笑されていたこの男は、 ゴリャンチコフに懐き、彼の身の回りの世話を買って出て、 少額の対価を貰っていた。 しかし彼の不用意な金を巡る発言から自分の誠意を疑われたと感じ たスシーロフはそれ以後もその叱責を忘れることはなかったようだ と彼は自分の後悔を記している。そして彼が出獄する際に、 後に残るスシーロフが“ あんたがいなくなったら俺はいったい誰を頼りにすりゃいいんだ” と嗚咽したとあることから、 この二人の間になにかしら特別な関係が築かれていたことが読み取 れる。侘しさの募る“死の家” で彼が最後にはこのような果実を得ることができたということは私 たちのもつ人間性への大きな励ましに繋がるように感じられる。