『善悪の彼岸』ニーチェ を読んで


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ニーチェについてはナチスやワーグナーと関連付けて語られることが多いが、そのような先入観をできるだけ避けながら読んでいった。日常のなかで大きな見地から人間やその生活を考えることはなかなか得難いことであるが、この本の読書はその機会を与えてくれるものであった。

 

ニーチェは1844年にプロイセンのライプチヒ近郊の牧師に家に生まれ、両親はいずれもプロテスタントの牧師の家の出身という。若くして才能を表し、若干25歳でバーゼル大学で古典文献学を教えるに至っている。この『善悪の彼岸』は彼が42歳の時に自費出版されたもので前年に刊行された『ツァラトストラ』を補完するものという。

 

彼の文章は時に舌鋒鋭く挑発的で、ヨーロッパの「民主化」や貴族制度、女性についての所見などには現代に生きる私たちから見れば当時の時代の制約を受けているようにも感じられ、手放しで頷けないことも多い。しかし、この作品は人間についての深い洞察に満ちたものであり、なにより、彼は詩人の魂を持っていると感じた。哲学を論文で表すのではなく、アフォリズムという形をとって、まるで彼の思想の煌めく光の断片を集めたような形で語られる。彼はプラトン以来の西洋の形而上学の伝統的な考え方、つまり哲学は真理を求める学問という考え方に批判を加える。真理は断片のうちにしか姿を現さないとし、体系を拒否しアフォリズムという形式で書くことが哲学者の重要な資質だと説く。その光の欠片をまるでつづれ織りを織るように自分で綴り合せて、彼が何を表現しようとしているのかを探っていく過程はとてもスリリングであった。

 

彼は哲学の思考を含む意識的な思考の最大部分は実は人間の本能の活動の一つではないだろうかと問う。思考の運動を論理学の法則が勝手に支配しているようにみえるが、その背後に潜んでいるものはある種の生を維持することを求める生理学の要求であるとする。その「認識への欲動」を道具のように利用している別の巨大でほとんど知られていない危険な情動、例示されるのは憎悪、嫉妬、所有欲、支配欲などの情動であるが、それらを生に必要な情動であり、生の全体の構成において基本的で本質的に存在していなければならないと主張する。意志は感情と思考の複合体であるだけではなく、何よりも一つの情動であるとし、生を高揚させるためにはこのような情動を高める必要があると主張する。彼はそのような欲動をインスピレーションを与える精霊、あるいはいたずらな妖精と表現する。

 

ニーチェは自分の立場を善きヨーロッパ人であるとし、自由な精神を持つこと、それは独立不羈、少数の人間にしかできないとする。そして当時のドイツやヨーロッパの現状について、様々なテーマを取り上げながら批判を繰り広げる。

 

まず哲学を学問の一部門として扱う風潮を批判し、次いで学問全般について話を進めていく。学問もまた生あるものであり、生を愛するからこそ既成の世界を単純化し、徹底的に技巧的で巧みに偽造されたこの世界に私たちを足止めしようとする、学問はなんと誤謬を愛することだろうと。

 

哲学史においても「自然に従って生きよ」と教えるストア派に対してそれは言葉による欺瞞であると主張する。自然は際限なく浪費し、際限なく無関心であり、意図も顧慮ももたず、憐憫も正義も知らず、豊穣であるとともに不毛であり、同時に不確実であるとし、この無関心こそが力である自然にひとはどうやって従って生きることができるかと問う。そして生きるとはまさにこの自然とは違ったものとして存在しようとすることではないか、生きるとは評価すること、選り好みすること、不正であること、限られたものであること、関心を持とうと欲することではないだろうかとも。この指摘は「自然の懐に抱かれる人間」という日本人の自然観とは明らかに異なるものであり、西洋的な伝統に基づく世界観を色濃く反映しているようである。

 

彼はまたドイツの文化についても遠慮のない反駁を加える。どれも重々しく長たらしく退屈で、ドイツ人には南方の空に見られる明るい輝きがなく、優美さも舞踏も論理への意志もないという。彼が対比してマキャベリの『君主論』について述べた次の文章は印象的である。 『フィレンツェの乾いて澄んだ空気を呼吸させながら、あれほど重大な出来事を手の付けられないような軽いアグレッシモのテンポで語ってしまう、彼の思想は長く、重く、堅く危険であり、ギャロップのようなテンポのうちに最高の気まぐれな気分が働いているのだ」 この文章を読むと、彼が哲学を語る際に、なぜアフォリズムという形式を採用したのかの一端がわかるような気がする。

 

ニーチェは哲学者であることの前提としてあらゆる面で全人的な価値の体現者を期待する。例として示されるのは批評家、懐疑家、歴史家さらに詩人、収集家、旅行者、謎解き、モラリスト、先覚者などである。そして哲学者には価値を創造することを求め、真の哲学者は「かくあるべし」、人間の「どこへ」と「何のために」を定めるもの、真の哲学者は創造的な手によって未来を掴むもの、もっとも孤独で善悪の彼岸で生きるものであり、高貴、独立した存在であろうとすることこそが哲学者の真髄であると述べる。

 

彼はあらゆる権威的なものへの激しく反抗する。しかし彼の論理は様々な権威を批判しながらもここで軽やかにそして鮮やかに飛翔し、逆説的な見方に私たちを導くのだ。

 

彼はヨーロッパのすべての国やアメリカで「自由な精神」という呼び名が濫用されているとし、彼らの希求するものはあらゆる家畜の群れが望む「緑の牧場の幸福」であると断罪する。「権利の平等」と「すべての苦しめる者たちへの同情」、そして彼らのうちから苦悩そのものが除去されねばならないとする考え方に彼は異を唱える。「人間という植物が、どこでどこまで力強く高みにまで成長したかという問いに眼差しと意識を向けている私たちは、人間が高みに成長するのは常にこれとは反対の条件の元であった。近代のすべてのイデオロギーと家畜の群れの願望とは対極に立つ。長きにわたる圧力と強制、人間に見られるすべての悪、恐るべき行い、圧制的なもの、猛獣的なもの、蛇のようなずる賢さなどはその反対物と同様に「人間」という種を高めるために役立っている、まさに善悪の彼岸である」という文章のなかにこの論理の飛翔を見て取ることができるのである。彼は私たちの中には名誉、金銭、官能の陶酔など隷属を誘うものが隠れており、苦難や病気も規制やその「先入観」から人間を解放してくれるものであると述べる。そして私たちのうちに住む神や悪魔や羊や蛆虫にまで感謝するとし、「自由なる意志」を横溢させるためにはどんな危険をも冒すとまで宣言するのである。

 

彼のキリスト教に対する批判の中にも同じ論理を見ることができる。人間のうちでも最高の、もっとも出来のよい種族にふさわしいすべての本能を捻じ曲げて、不確実なもの、良心を痛ませるものとしてしまい、自己破壊に至らせることこそが教会が自らの任務としてきたことであるという。そしてキリスト教は人間の最も強い本能を「自然」に捧げ、人類の道徳時代をもたらしたが、「敬虔」という人間を美化する手段によって人間は表面的な存在に成り下がってしまったというのが彼の主張である。しかしながら聖書について語っている文章にはやはり彼の逆説的な見方が含まれている。曰く、ヨーロッパでは聖書にはおおむね畏敬の念が保たれているが、そのありかたはキリスト教がヨーロッパに与えた習俗の洗練と規律の最善のものとし、このような深さと究極の意味をそなえた書物を守るためには、専制的な権威が外部から訪れてこの書物を汲み尽くし、究め尽くすための数千年にわたる持続を維持しなければならず、聖なる経験があるということを大衆に目覚めさせることがその人間性を最高度に高めることになると。つまりキリスト教のもつ専制的な権威主義があったからこそヨーロッパの大衆の人間性を高めるのに寄与したという言説である。

 

この長きにわたる権力による圧力と強制、人間の中に巣喰う神や悪魔、羊や蛆虫があればこそ人間は高みに上ることができるのだという彼の主張は今まで説かれてきた幸福論とは異なるもので私にとっては大きな励ましになるものであった。これまで負の経験や負の感情と考えてきたものに別の光を当てることで自分を取り巻く世界が以前とは異なった様相を帯びてきたようにも感じている。

 

 

 

 

 

 

『ユダヤ人の歴史』を読んで


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この本は最近の読書会の課題図書であったが、大きな関心をもって読んだ。というのは近年個人的な事情で身近にユダヤ人を知ることになったからである。彼らの一族はドイツのベルリンからナチスの迫害から逃れてアメリカに移住した人々で、現在はニューヨーク、シカゴなどに居住し、アメリカ社会に根を下ろしている。


この本の著者レイモンド・P・シェインドリンはアメリカで生まれたユダヤ人で、ラビの資格を持ちながら、大学でスペインにおける中世アラビアの詩文学を教えているという。彼はユダヤ人の歴史を考える時に出て来る基本的な問題、ユダヤ人は何処から来たか、彼らはどうして故国を離れどこに向かったか、そして何世紀に渡る離散の間、どのようにしてアイデンティティを保持してきたのか、彼らのなかの様々なコミュニティにおいて、その性格を決定づける共通の重要な要素とは何か、どうして彼らは他国の人々に嫌われ、貧困と剥奪と追放の連続となっているのか、近代化は彼らにどのような影響をもたらしたのか、そして今のユダヤ人の置かれている状況はといった現代的な問題にまで論を進めている。彼自身ユダヤ人であるが、その態度は学問的で現代のイスラエルとアラブの対立についての叙述においてもできるだけそれを貫こうとする姿勢が感じられた。

 

彼はユダヤ人の歴史とユダヤ教の歴史が全く同じものであるとは言えないとし、宗教はあくまでユダヤ人のアイデンティティを構成するいくつかの要素の一つであるという。その要素として彼が挙げているのはユダヤ人の言語、文書、組織あるいは歴史そのものである。そしてその関心は種々の伝統を維持しながらも自分たちの生きてきた国家や文化に適応しつつ、しかも互いに影響しあってきたことにあるという。その問題を解明するために彼がとった手法はそれぞれ異なった経験と文化を持つ各地域のユダヤ人社会ごとに一定の期間を取り、年代を追って記述するという方法であった。

 

彼は全体を11章に分け、古代イスラエル人の起源と王国、ユダヤの地とディアスポラ(ユダヤの地以外におけるユダヤ人社会)の起源、ローマ、ササン朝ペルシャ、イスラム社会、中世ヨーロッパ社会、オスマンと中東、西ヨーロッパ、東ヨーロッパとアメリカ合衆国のそれぞれのユダヤ人社会について語る。そしてホロコースト、シオニズムとイスラエルの建国を取り上げ、最終章では1948年以降のユダヤ人の状況をアメリカ合衆国、ロシア、ドイツなどの例を挙げながら説明し、これからの展望を述べる。

 

ユダヤ人の歴史は古代イスラエル人が、BC1000年頃、地中海の東端にあるカナンの地に王国を築いたことから始まる。この王国は統一王国以来400年続いたが、彼らはその記憶を故国を離れてもかつての栄光の日々が復活するという理想と共に持ち続ける。追放されたバビロンで自らの宗教組織を作ることによってその理想が何世紀にもわたって生き永らえることができる基礎を創造した。その特徴は一神教と救世主の出現願望である。バビロニアやエジプトにおけるユダヤ人社会は最初で当時最大のディアスポラ社会であったという。この時代はユダヤ人のアイデンティティが成立した時代で、彼らは自分たちは時空を超えて、古代イスラエル国家を共通の先祖とする民族的、文化的知的伝統、宗教に結ばれた存在であると意識し始める。

 

なぜ共通の国家、言語、民族的組織がない状況でそのようなアイデンティティを持つことができたかのだろうか。著者は当時バビロニアのユダヤ人社会の指導者たちが編み出した書物「トーラー(律法)」の存在を挙げる。

 

これはシナイ山で神がモーゼに与えたものとされるが、歴史的に見ればこの時期に初めて出来上がったもので、古代イスラエル王国の時代から残された古い文献を編纂し、宗教行為に絡めて民族的アイデンティティをつくりだすと同時にある部分民族のアイデンティティそのものを宗教にしてしまった。この創作こそ今日に至るまでユダヤ人のアイデンティティとユダヤ人の宗教の大きな特徴であるという。

 

そして興味深かったのはアレキサンダー大王のペルシャ支配下でユダヤ人のディアスポラもほとんどその中に含まれてギリシャ文化の影響を強く受け、その後何世紀にも渡りこの文化に魅惑と反発双方の相矛盾する感情を抱き続けたという。それを文明論的には、西洋文明における永遠のテーマの一つであるユダヤ、キリスト教の神を基準にする文化(ヘブライズム)とヘレニズム文化の相克が始まったとしている点である。

 

もう一つユダヤ人の歴史に大きな影響を与えたのは4世紀のコンスタンティヌス一世の時代に彼自身がキリスト教に改宗し、将来キリスト教がローマの国教になる方向を決定したことである。初期キリスト教はユダヤ教内の一つの宗教運動であったが、ローマ帝国内のパレスチナ、シリア、小アジアなどの異教徒に広めていく過程で大きな変革を遂げて言ったという。ユダヤ教が特定の歴史、特定の民族のための宗教として留まったのに対して、キリスト教は共通の信仰に重きを置く超国家的な社会を目指した。指導者による民族再生という考え方を、個人個人が救済を求めることによりキリストによる贖いが得られるという考え方にダイナミックに転換していった。そしてヘブライ語の聖書をキリスト教の権威を高めるために使った。その後この二つの宗教は近親憎悪とも言えるような激しい対立を経験していくことになる。十字軍遠征の過程では多くのユダヤ人が十字軍兵士によって虐殺され、これ以後西ヨーロッパではユダヤ人を悪魔とみなす神話が広く拡散していったという。

 

キリスト教ヨーロッパ社会においてユダヤ人の職業は限られており、金貸し業、小規模な質屋、古物の売買などであった。しかし一部のユダヤ人はこの制限下で資本を蓄積し、金融や投資のプロとなっていった。強制移住や追放によって各地に散らばるユダヤ人は国際的なネットワークを形成し、紆余曲折はありながらもヨーロッパでは市民権を認められ、非ユダヤ社会への同化が促進されていく。しかし、第一次世界大戦後のナチスの台頭は従来の反ユダヤ人感情が根強かったことを改めて思い知らせるものであり、現在も移民に対する感情とリンクしながら折に触れヨーロッパ社会の表層に浮かび上がってくることには暗澹たる思いがある。

 

19世紀初頭に始まったヨーロッパから合衆国への移民はアメリカのユダヤ人社会を最も有力なディアスポラス社会にして行く。アメリカは理念的には移民も従来の市民と平等であることを前提に国造りを始めた国家であり、ユダヤ人自身が大きな社会の構成員として参加しながら、世界のユダヤ民族に対する同族意識を保持し、アメリカ国内の問題を調整する組織を持ち、かつヨーロッパに残ったユダヤ人にも組織的な援助を与え続けてきたという。ホロコーストを経てシオニズムによるイスラエル建国、その後のアラブパレスチナとの対立に至るまでそれは続いている。しかし彼らはアメリカ社会に同化する道を辿り、いつまでユダヤ人としてのアイデンティティと文化を保持できるかが大きな問題となっているという。

 

ト―ラー(律法)がユダヤ人のアイデンティティの形成に大きな役割をになっているという指摘に思い当たることがあった。冒頭のユダヤ人が語ったのには、子供の頃シナゴーグに行くといつもトーラーを暗記させられたという。それが無事終ると何かしらご褒美が貰えたそうだ。こうして自然にヘブライ語を憶えユダヤ教の教義や習慣に馴染んでいったという。しかしユダヤ教はキリスト教とは異なり布教にはあまり熱心ではなかった。彼らは普段の生活の中にハヌカなどユダヤ教の生活習慣を残しているが、配偶者は必ずしもユダヤ人ではない。それぞれの信条を尊重しているようである。

 

 

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読んで


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学生時代に出会ったヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』 は、「 女性が小説を書こうと思うならお金とひとりの部屋を持たなければ ならない」という一節が有名であるが、 彼女の小説を読むのは初めてであった。

 

この小説はスコットランド沖にあるスカイ島の別荘に集うラムジー 一家とその客人たちのある夏の日の昼過ぎから夜までの半日、 そしてその後、十年の年月を経て、 同様にある一日の午前の出来事が語られる。 特に何かしらの特別の事件が起きるわけでもないその短い時間がか くも味わい深い小説世界に結実しているのは驚きであった。

 

とりわけラムジー夫人が灯台の光について思いを巡らす描写はとて も魅力的である。

 

(夜中に目を覚ますと、 灯台の光が部屋を撫でてベッドを横切っていくのをみることもあっ た)けれど、魅入られてうっとりとそれを見つめるうちに、 頭のなかの閉ざされた器を光の銀の指でなでられたような気がし、 やがて器の封がはじけ飛んで歓喜に満たされながら、 自分は幸福を知りえたのだと思う。ごく繊細で烈しいまでの幸福。 陽がいよいよ薄れていくなか、 光の指は荒波を少し明るい銀に染め、 海から碧の色が消えてゆくと、 寄せ来る波はきれいな檸檬色にきらめき、 曲線を描いて盛り上がっては浜辺に砕け、すると、 夫人の双眸はいきおい恍惚の色にあふれ、 交じりけのない喜びの波が打ち寄せてその心の底に広がり、 そうしてこう感じるのだった。私は充たされている! 満ち足りている!

 

海の彼方からやってくる灯台の光が夫人の心に歓喜をもたらす様が 繊細で詩的な文章と共に語られる。 これを読む私たちも夫人と一体になって自らの心も喜びに満たされ るような思いに捉われるのである。

 

そこへ通りかかるラムゼーは(彼は哲学研究を生業にしているので あるが)妻のその姿を目にし、 美しさに感嘆しながらも自制して話しかけずに通り過ぎようとする 、 妻が自らの世界に沈潜して他人を必要としていないことになかば傷 つきながら。しかし妻は夫が自分を護りたがっていることを察し、 立ち上がって夫のもとに行くのである。

 

このようにそれぞれの登場人物の内面に分け入り、 その交感の様子を過不足なく描写していく文学の方法はジェイムズ ・ジョイスと並んで近代文学の先駆的なものであるという。

人生の瞬間を掬い取りそこに光を照射することで、 私たちの日常がこのようなかけがえのない一瞬一瞬の積み重ねから 成り立っていることをあらためて気づかせてくれる。

 

六人の子供の養育や慈善活動に心血を注ぐ夫人と対照的に描かれる のは別荘に逗留している画家のリリーである。 彼女は夫人に魅力を感じ惹きつけられてはいるが、 夫人から結婚相手にと勧められた同宿の男バンクスと結ばれること はない。彼女の絵を描く姿勢についての描写はとても興味深い。 イーゼルにのせた描きかけの絵をバンクスに見られた彼女は身をす くめて次のように心の中でつぶやくのである。

 

わが絵画という33年間の人生の残滓、日々の生活の沈殿物には、 生まれてこのかた人に話したことも見せたこともない秘密が混じっ ているのに、それが他人の目にさらされるというのは、 やはりのたうつような苦しみだった。それでいて、 目くるめくような体験だった。

 

十年後、彼女はやはり別荘に逗留して絵を描いている。 しかしそこにはもう夫人はいない。彼女は病で亡くなり、 六人いた子供のうちふたりまでもがそれぞれ、 戦争と出産後の産褥熱で亡くなっている。

 

リリーの筆は苦しくもときめく恍惚に震えながら、 いっとき宙に浮いたままでいる。どこから描き始めるべきか? なにしろ、カンバスほど畏れを抱かせる空間はないではないか? ではなぜそうまでして絵を描くのだろう、女には絵が描けない、 女には文章もかけないって言われながらも。 このような心の葛藤に苦しめられながらも彼女は人生の意味を問う 。そして多いなる天啓などというものはなく、あるのは、 暗闇の中でふいに灯されたマッチの炎のような日々のささやかな奇 跡と光明であり、 自分は絵画という別の天空でそんな瞬間から永遠の何かをつくりだ そうとしているのだということに思い至るのである。それが「 生がここで静止せんことを」と言っていたラムジ― 夫人に負うところが大きいことに気付き、 リリーの今は亡き夫人に対する思慕の念があらためて深まっていくところは印 象深い。

 

物語の中のさまざまな人々の心の揺らめきはまるでプリズムの中を通 過する光をみるようだ。その光が作り出す一瞬一瞬を味わうこと、 それがこの小説の醍醐味であった。

 

 

 

BOB DYLAN THE LYRICS 1961-1973を読んで

 



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ボブ・ディランにはいくつかの忘れられない歌がある。 今回読んだこの本は1961年から1973年にわたる彼の初期の 歌詞を集めたもので、改めてその詩の魅力を味わうことができた。

 

Blowin’ in the wind(1962)は若い頃のベトナム反戦の騒然とした時代の 雰囲気と共に思い出す曲である。 しかし彼は政治的なメッセージ性の強い歌を書き続けながらも、 それをプロパガンダとみられることに抵抗したという。

 

Like a rolling stone(1965)で彼はアコースティック・ ギターをエレクトリック・ ギターに持ち替えて新しい音楽の可能性に挑戦した。 一部の伝統的なフォーク音楽ファンからは裏切り者のユダという罵 声を浴びせられながら演奏されたと聞く。 初めてこの曲を聴いた時、how does it feel一体どんな気持ちだい という繰り返し相手に呼びかけるフレーズが印象的であった。

 

むかし、きみは綺麗な服を着て得意絶頂だった、 路上の乞食を見下していたね、名門大学を出て派手な生活、 シャム猫を肩に乗っけた外交官の彼氏と一緒にいたけれど、 毟られるだけ毟られたあと彼は時代遅れの男と気が付くなんてつら いだろうね、 今では落ちぶれて帰る家もなく知り合いもなく石ころみたいに転が って生きていく、どんな気持ちだい、 一人ぼっちになるということは という歌詞からは一人の虚栄心に満ちた道を踏み外してしまった女 性の物語がくっきりと浮かんでくる、 しかしながら歌い手の彼女に対する距離は突き放して切り捨てるの でもなく、かといって上から教え諭すのでもなく、 何か自分も同じような愚かさを持っており、 もしかしたら自分もそのような立場に置かれることがあるのかもし れないという同じ平面から呼びかけているような雰囲気を感じるの は私だけであろうか。

 

もう一つの心惹かれる曲はI’ll be your baby tonight (1968)である。出だしのclose your eyes, close the door というのんびりとしたハーモニカの出だしが心地よい。 これはロックミュージックから一旦距離を置いて沈潜した後に生み 出されたカントリーミュージック風の曲である。

 

眼を閉じて、ドアを閉じて、もう心配はいらない、 今夜の僕は君のベイビーと優しく相手に呼びかける歌である。 当然今夜の君は僕のベイビーというのだろうと思いきや、 今夜の僕は君のベイビーというところがとても新鮮である。 ここにもやはり男女の間に往々にして見られる互いの所有や支配の 匂いが感じられないのである。

 

このように彼の楽曲を聴いていると、 どんなに皮肉な挑発めいた曲や甘美な愛の歌の中にも、 同じ地平に立ち、 相手の性や社会的な身分にかかわらず真っ直ぐ相手を見つめる眼の 存在を感じるのである。

 

なぜ彼はこのように歌っているのだろうか。 その答えの手掛かりになるものがこの本の初めに収録された『 ウッディ・ガスリーに捧げる歌』という歌の中にあるように思う。

 

私は以前からガスリーのThis land is your landが好きであった。 土の匂いのするとても伸びやかで魅力的な歌である。 この曲はアーヴィング・バーリンのGod bless America の向こうを張って作曲されたという。 たしかに後者は愛国心を掻き立てるような響きがあるが、 ガスリーはそれを潔しとはしなかった。彼は1912年オクラホマ に生まれ14歳で母親を亡くし17歳から日雇い労働者として国中 を放浪した。それを知ってこの曲を聴くと彼の言うland が具体的な人びとがそこで労働し生活する場所であることが納得さ れるのである。

 

ボブ・ ディランはラジオから流れる彼の歌に魅了されて歌手を志したとい う。そしてニューヨークに辿り着き、 精神病院に入院するガスリーと面会を果たし、この歌を捧げた。 ディランは歌う。故郷を離れて数マイル、 先人たちの通った道で歌われてきた人やものを僕は見ている、 貧者、百姓、王子、王様 ヘイ、ウッディ、あんたにはお見通し、僕が何を歌おうと、 その何倍も知っている、それでも僕は歌いかける、 いくら歌っても足りやしない、あんたの後追い、 あんまり少なすぎるから

 

これは彼のこれから自分は何を歌いたいかについて高らかに宣言し た歌のように感じられる。貧者から王様まで、 あるとあらゆる人や事物を歌うのだと。 そしてこの初志を貫くようなかたちでフォーク、 ロックと表現形式は変えながらも彼の世界を視る眼差しは変わって いないようにみえる。

 

ディランには様々な事件や人の死について描かれた歌がある。19 76年に発表されたHurricaneはミドル級のチャンピオン であったボクサー、ルービン・ カーターの冤罪事件を扱ったもので、 彼に面会して無実を確信したディランは疾風怒涛の勢いでこ の事件を活写する。そしてこの本にはThe death of Emmett Tillなどの理不尽な暴力に命を奪われた人を悼む歌が収録され ている。なかでもThe lonesome death of Hattie Carrollは心を打つ。 私はこの歌をこの本を読むまでは知らなかった。 まさにガスリーに捧げた歌の中に言う、「僕は見ている、貧者、 百姓の世界」である。 こんな曲を歌う人が日本にもいたらという思いがこみ上げてくる。 最後にこの詩の原詩と日本語訳をこの本から引用したい。

 

The lonesome death of Hattie Carroll

 

William Zanzinger killed poor Hattie Carroll

With a cane that he twirled around his diamond ring finger

At a Baltimore hotel society gath'rin'

And the cops were called in and his weapon took from him

As they rode him in custody down to the station

And booked William Zanzinger for first-degree murder

But you who philosophize disgrace and criticize all fears

Take the rag away from your face

Now ain't the time for your tears


William Zanzinger, who at twenty-four years

Owns a tobacco farm of six hundred acres

With rich wealthy parents who provide and protect him

And high office relations in the politics of Maryland

Reacted to his deed with a shrug of his shoulders

And swear words and sneering, and his tongue it was snarling

In a matter of minutes on bail was out walking

But you who philosophize disgrace and criticize all fears

Take the rag away from your face

Now ain't the time for your tears


Hattie Carroll was a maid of the kitchen

She was fifty-one years old and gave birth to ten children

Who carried the dishes and took out the garbage

And never sat once at the head of the table

And didn't even talk to the people at the table

Who just cleaned up all the food from the table

And emptied the ashtrays on a whole other level

Got killed by a blow, lay slain by a cane

That sailed through the air and came down through the room

Doomed and determined to destroy all the gentle

And she never done nothing to William Zanzinger

But you who philosophize disgrace and criticize all fears

Take the rag away from your face

Now ain't the time for your tears


In the courtroom of honor, the judge pounded his gavel

To show that all's equal and that the courts are on the level

And that the strings in the books ain't pulled and persuaded

And that even the nobles get properly handled

Once that the cops have chased after and caught 'em

And that the ladder of law has no top and no bottom

Stared at the person who killed for no reason

Who just happend to be feelin' that way without warnin'

And he spoke through his cloak, most deep and distinguished

And handed out strongly, for penalty and repentance

William Zanzinger with a six-month sentence

Oh, but you who philosophize disgrace and criticize all fears,

Bury the rag deep in your face

For now's the time for your tears

 

 

 

 

 

ウイリアム・ザンジンガーが哀れなハティ・キャロルを殺した

ダイヤをはめたその指で握ったステッキ振り回し

ボルチモアのホテルでの社交界の集まりで

警官が来て武器の押収

彼は署まで連行されて

第一級殺人犯で収監された

だが恥辱を講じ、恐怖を評じるみなさんよ

そのハンカチはまだ要らない

これで泣いてはいけないよ

 

ウイリアム・ザンジンガー、二十四で

タバコ農園六百エーカーを所有した

金満の親の援助と保護を受け

メリーランドの権力者とコネがある

犯人は自分の行為に肩をすくめ

罵り、あざ笑い、怒りの言葉をぶちまけて

数分後には保釈金、好きに町をあるいてる

だが恥辱を講じ、恐怖を評じるみなさんよ

そのハンカチはまだ要らない

これで泣いてはいけないよ

 

ハティ・キャロルは食堂のメイド五十一歳、十人の子の母親で

皿を運び、生ごみ集め

食卓の首座に座ったことなど一度もない

着席者と言葉を交わしたことすらない

ただ黙々とテーブルを拭き

ずしりと立派な灰皿片づけ

一撃に倒れ、命を落とした

か弱く優しき者たちを打ち壊そうと決意して

振り上げられたステッキが空気を裂いて打ち下ろされた

ハティがザンジンガーに何をした?

だが恥辱を講じ、恐怖を講じるみなさんよ

そのハンカチは要りません

これで泣いてはいけません

 

ここは聖なる裁判所、判事殿が小槌を鳴らして

全ての民の平等と裁きの公正を、顕示した

厳正なる法文の糸を引いたりいいくるめたりは、ありえない

高貴なものにも容赦はない

警察に捕まったならみな同じ

法の梯子に上下はない

判事は見つめる、理由なき殺人者を

気まぐれに、いきなり人を殺した男を

法衣をまとった身から、深く立派な声が出て

懲罰と悔悟の期間が宣告される

ウイリアム・ザンジンガーに六か月?

ああ恥辱を講じ、恐怖を評じるみなさんよ

そのハンカチに深く顔を埋めなさい

今こそ涙を流すとき

(佐藤良明訳)

 

 

 

 

 
 

『いとをかしき20世紀美術』を読んで

 



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先回読んだ『センスの哲学』の読書ガイドのなかで、 現代美術の入門書として挙げられていたのがこの本である。 漫画と文章による解説で20世紀以後の西洋美術について分かりや すくポイントを掴んで紹介されており、 浅学の私にとってはとても興味深い内容であった。

 

最近、イギリスやアメリカで著作権法の改正の動きがあり、AI の学習用に音楽や美術作品の使用を許可すべきかどうかが議論にな っている。イギリスではポール・ マッカートニーを始めとするアーティストたちが抗議の意思を表明 するための無音のアルバムを発表したという。 このように人間の創作活動がAIに奪われるのではないかという懸 念が広がっているなか、20世紀初頭にもこれと同じような問題が 起きていたということをこの本で初めて知った。 写真などの複製技術の発明や機械生産の本格化により、 人間の手仕事が機械による大量生産に置き換わっていった時代にア ーティストがどのようにして時代の変化を受け入れ、 新しいアートを産み出していったのかという記述はとても示唆に富 んでおり、 これからの社会を考えるためのヒントを与えてくれるように思う。

 

思い起こせばルネッサンスに輩出した才能ある画家や彫刻家たちは 今まで宗教的なテーマの中で、 半ば没個性的に終始していた表現に新たな人間的な視点で光を当て 、ギリシャ・ ローマ的な表現形式に影響されながらも新しい時代の芸術表現を産 み出した。本書によれば、 遠近法や明暗法といった写実表現が研究され、 その後長く写実的な絵画や立体を作る流れが続いた。19世紀後半 に生まれた印象派は光すら写実的に描こうとしたがその結果物の形 や質感があいまいになり、写実表現が崩れる契機となったという。 それ以後画家たちの興味関心は色や形のもつ力の探求へと向かい、 マチィスのフォヴィズムやピカソのキュビズムが生まれ、 カンディンスキーの抽象絵画の誕生へと進んでいった。

 

以後、様々な抽象絵画の系譜が現れる。 本書は音楽と美術の融合を試みたカンディスキーやアンドレ・ ブルトンを中心とするシュールリアリズム運動、アメリカン・ アートの先駆けとなったジャクソン・ポロック、ポップ・ アートの中心人物アンディ・ウォーホル、 画家のコンセプトを重視しようとするコンセプチャアル・ アートの第一人者ヨゼフ・ボイス、 広大な自然を作品の中に取り込んだ環境アートなどについて順次解 説していく。 それはどれも新時代を切り拓く新しい芸術表現で大変刺激に満ちた ものであった。

 

とりわけ、 初めてアートの定義を拡大したと言われるフランスのマルセル・ デュシャンとコンセプチュアル・アートの作家であるヨゼフ・ ボイスには今まで抱いていた芸術表現の可能性を大きく広げる可能性を感じた。

 

マルセル・デュシャンの実際の便器をそのまま作品にした『泉』 という作品を以前雑誌で見たことがあった。 これがアートなのかと驚いた記憶があるが、 本書でその創作の背景を知り、 改めて芸術作品がその創られた時代の影響を免れないことを知った 。工業製品をそのままあるいは少し手を加えて作品とするこの『 レディ・メイド』シリーズは20世紀初頭の当時、 機械による大量生産が進展し、 機械の方が人間を凌駕して精巧なものを作る時代に人間が作るべき 芸術はどのようなものかという問題意識に応えようとした一つの試 みであるという。たしかに便器を『泉』という作品にすることで、 物体の持つ実質的な意味が消され、 新しい思考と視点を創り上げたという側面がある。彼の「 芸術は人間の思考の働きであり、 機械は絵や立体を作ることができても、 何が芸術かを考えることはできない」という考え方は、 目まぐるしいデジタル文化の洗礼を受けている私たちにとって大き な示唆に富んでいる。

 

そしてもうひとりのヨゼフ・ボイスについては、 本書で初めて知ったドイツ人アーティストである。 アーティストといった枠組みに収まり切れない、まさに『 センスの哲学』で語られたアンチセンス、それを「 どうしようもなさの亡霊」という言葉で言い換えているが、その「 どうしようもない亡霊」に取りつかれたような人物である。

 

彼は脂肪とフェルトを素材とした立体作品で有名であるが、 それは彼の過酷な従軍経験に基づくものであるという。 第二次大戦時、空軍兵として従軍中にクリミア半島に墜落し、 それを現地の遊牧民であるタタール人の手厚い看護で九死に一生を 得た。遊牧民たちは彼の体に脂肪を塗り、 フェルトで包み体温を保持したという。その後、彼は1965年の 個展で自らの頭にはちみつを塗り、その上に金箔を貼り重ね、 死んだウサギに画廊に展示された自らの絵について語るというパフ ォーマンス作品を創作した。テーマは「人々の思考を促す」 ということで、ウサギに代表される死んだ思考、 はちみつと金箔で活性化した生きた思考を表し、 二つの対立構造を表現したという。 また彼は芸術を治療行為とも考えていた。

その後、彼は1970年代から政治色を強め、 選挙に出馬したり大学や政党の設立に関わったりしながら、 社会を彼の作品とすべく活動を継続したという。「 地球上に生きる全ての人が社会有機体の彫刻家、形成者、 造型家となるにはどうしたらよいか」という言葉を残している。

 

この本の中には、デュシャン、 ボイスのほかにも私たちを取り巻く世界に対する認識を大きく変える契機を与えてくれる多くのアーティストの存在があった。 アートが私たちの社会の動向と密接に結びついており、 その変革さえも志向する無限の可能性を気づかせてくれる本であっ た。

 
 

センスの哲学 千葉雅也著 を読んで

 

最近、自分でも絵を描くことを再開し、 画集や美術館で絵を観る機会が多くなった。抽象的、 あるいは具象的な様々な絵に触れて、 次第に自分は何を描きたいのかということを考えるようになった。 自問自答しながら手に取ったのがこの本である。 著者はフランス現代哲学の研究者ということでこの本では近代以後 の哲学者の思想を紹介しながら論を展開している。

 

著者はまず絵に意味や目的を求める鑑賞の仕方に疑問を呈し、 脱意味的なリズム、ただの色、形、響きに注目する見方、 フォーマリズムを提示する。 そのフォーマリズムには様々な批判があることを留保しながらも、 この手法によって離れた地点から大きなフレームで世界を眺める視 点を獲得できるとする。

 

興味深かったのは、多くの人が映画の作り方、絵の描き方、 音楽の作り方を勉強するときにあるきまったルールに従って並べら れるようになることこそが勉強であると考えるという指摘である。 たしかに絵を描くときにはまず対象を精緻にデッサンすることが求 められる。そのうえで遠近、 明暗を的確に掴み画面を構成する能力が試される。 著者はそういうルールを一旦外し、 自らのフレームで世界を観ることを推奨する。 そこには技術の優劣は存在せず、 自らの広大で独自な地平が拡がるはずだと。 そしてこの本の表紙に使用されている1980年代に活躍したアメ リカ人作家のロバート・ ラウシェンバーグの抽象画を例に取りながら作品の中に表れる色や 形のリズムに着目しながら彼の作品を読み解いていく様はなかなか スリリングである。

 

自分が何を絵と思っているかを問い直し、 既存のルールから脱して、 すべては繋がり方の設置次第であると考えることにより最大限の見 地から面白い並びにするために制約をかけていくという方向で考え てみてはどうかという提案は私に取って刺激に満ちていた。 作品には人と競うような技術的な甲乙はなく、 全芸術は何かの次に何かが来るという並びが重なった「 うねりとビート」 であるという指摘は作品を創るときに心を軽やかに解き放ってくれ るものである。

 

しかしその反面、 そこにある種の機械論的なものがあるのではないかという微かな疑 問も芽生えたことも事実である。読み進めていくと、その「 うねりとビート」は単純なものではなく、 人間には生物としてのベースが基本的な傾向として存在するので、 それがリズムを複雑に変化させ、 象徴化していると述べている箇所に目が留った。

 

そこではカントの『判断力批判』を援用し20世紀における芸術運 動を概説している。 カントは自由に戯れるように事物が把握される時、それを「美」 と定義する。 それに対して人間がそれを捉えようとしてもフレームからはみだし てしまうような無秩序で壮大なエネルギーを「崇高」と定義、 その二つの間には対立があるという。その時、 反復のバランスが崩れ、予測誤差が「崇高」的に大きくなる、 そのような崩れと芸術的自由は結びついており、 そこに偶然性がどれだけ働いているか、 そしてその偶然性にどう向き合うかが人によって異なることがリズ ムの多様性となり、 それが個性的なセンスとして表現されると説明する。

 

偶然性に関しては20世紀前半から半ばにかけて芸術に偶然性を導 入する実験として第一次世界大戦後のダダイズムのランダム、 シュールリアリズムの自動記述が紹介されている。 最大の開放状態としてのただの偶然を置いた上で、 いくらかの反復と差異を作っていく手法について、 人はまったくのランダム、 偶然のデタラメの中にも何らかの意味を見出すものだという指摘は とても興味深かった。 そして著者は自分の人生の中に自分の固有の偶然性の「余らせ方」 を肯定することを推奨する。

 

ここまで、フォーマリズムという手法、 作品に意味を求めるのではなくリズムの構造を掴むことが重要とい う論理展開に微かな違和感を持ちながら読み進んできたが、 最終章でひとつのどんでん返しが行われる。

 

著者は、人間が生物であり、 人が生物として生きるためには何かを求めるというコンピューター にはない衝動があるという。広い意味での形、 リズムによって作品の中に何かが表現されているとし、 そこで初めて何が表現されているかを問う。 そして戦争を例に挙げながら、 戦争は人間にとって一つの巨大な問題であり、 問題とは繰り返し浮上してくるもの、 そして作品は問題の変形であるとする。芸術とはそれを作る人の「 どうしようもなさ」を表すもの、何らかの反復、 それが芸術の深くプライベートな本質であるとする。 文学の中には倫理、規範意識、人の「どうしようもなさ」 に対する宗教的ともいえる「赦し」 が複雑に混ざり合ったような状態で書かれるもので、 そこには公共性との葛藤あるいはジレンマがあると述べている。

 

そして生きることの必然性、 生物として刺激の嵐の中でおのれの主体性を仮固定して生きるため に反復が必要でそこに偶然性が重なってくるとしながらも、 人生においては見聞きしそれをモデルにして自己形成するところの 色々な典型性が不可欠であると述べている。そして個性とはその人がどのように典型的なものと関係を持ち、 また距離を取ってきたかということであるとする。

 

センスは、 センスが良いというバランスを食い破るような問題の反復によるア ンチセンス、それを「どうしようもなさの亡霊」 という言葉で言い換えているが、 その陰影を帯びることで真にセンスとなるという指摘は、 当初のフォーマリズム礼賛とは大きく離れて魅力ある論理展開であ った。

 
 

パウル・クレー展を観て

愛知県美術館で開催されているパウル・クレー展を観た。 展示はクレーと交流のあったカンディスキー、アウグスト・ マッケ、フランツ・マルクなどの作品も併せて紹介しながら、 クレーが様々な画家との関わりの中でどのような芸術的変遷を遂げ ていったのかを見渡すことができるような構成になっている。

 



私は以前読んだ彼の日記の中の言葉、「 絵を描くということは眼に見えるものを再現することではなく、 眼に見えないものを見えるようにすることである」 がとても印象に残っている。これらの展示作品を見ている間も、 いつもこの言葉は私の心の中に鳴り響いていた。 そしてそれは彼の墓石に刻まれた言葉「 この世ではついに私は理解されない、 なぜならいまだに生を受けていない者たちのもとに、 死者のもとに、私はいるのだから」 とも通底するところがあるように感じる。

 

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ゴヤ 『理性の眠りは怪物を産む』

彼は線を描くことから出発したようだ。 最初の展示にあったインベンションの中の『樹上の処女』 の下絵を彼はカプリチョ(奇想)と呼んでいたという。 同時に展示されているフランシス・ゴヤの作品『 理性の眠りは怪物を産む』はとても示唆に富む。 ゴヤは芸術家のカプリチョ(奇想)がインベンション(創意)とと もに芸術創作の根幹をなすとした。 クレーのこの作品はそのゴヤの意図に共感して制作されたものとい う。

 

クレーは後のチュニジア旅行で色彩を獲得していったとされるが、 この彼の線に対する傾倒は最後まで通奏低音のように彼の作品群に 見ることができる。初期の作品である『カンディード』 に添えた挿絵(残念ながらこの展覧会では作品の展示はなかった) には彼の人間の暴虐に対する震えるような線の筆致が印象深い。 五線譜の上に手書きの音符が並んだ『ある音楽家のための楽譜』 や展示作品には含まれていなかったが、『 なんで走っているのだろう』『お金を数える老人』などの作品で、 彼の線による表現は一度見たら忘れられないほど強い印象を私たち に残すのである。

 


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『座っている少女』

そして彼の色彩に対する開眼に画期となった作品が展示される。『 座っている少女』 と題するこの作品には興味深い解説がつけられている。 クレーは最初に具体的な対象を描いてから彩色するのではなく、 まず純粋に美的な感覚を頼りに即興的に色彩の斑点を描き、 その中にこの作品の少女を読み取り、 その姿を輪郭線と明暗によって浮かび上がらせたという。 まるで彼が幼少期に大理石のテーブルにいろいろな形を見つけた遊 びと重ね合わせたかのように。 それはまさに彼のいう眼に見えないものを見えるようにする行為で はないだろうか。

 

第一次世界大戦はこの時代を生きた人々、 特に若い人の運命を大きく変えた。 彼とチュニジア旅行を共にした、マッケやマルクも「 ヨーロッパの理想」のために参戦し、戦死する。 クレーもドイツ国籍を所持していたためドイツ軍に応召されるが、 実戦には参加することなく飛行機の整備に携わったという。 しかし展示作品を見ると彼の戦争によって与えられた衝撃の深さが 垣間見られる。以前読んだ1915年の彼の日記にあった忘れられ ない言葉が改めて思い出された。「 この世界が恐怖に満ちていればいるほど、芸術は抽象的になる」 というものだ。 これは私がさまざまな抽象画の作品を見る時にいつも想起するもの である。

 


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『深刻な運命の前兆』

今回の展示では『深刻な運命の前兆』『沈む世界を霧が覆う』 という作品に彼が受けた衝撃がいかに大きかったかということを感 じた。もともとあった自作の作品を切断し、 上下を転換して厚紙に貼付したものという。 切断された画面の間に横たわる隔たり、 それは乗り越えるべき痛手がいかに大きかったかを如実に示してい る。また親友マルクの戦死を描いた『理想のための死』 の線描も彼の精神が剥き出しの悲しみに晒されていたことを感じさ せる。しかし、切断して再構成するという彼の行為のなかに、 今までの世界の秩序が壊れて瓦礫と化したけれど、 そこからまた人間は進まなければならないと言ったある種の決意の ようなものが表明されているようにも思われるのである。

 

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『バラの風』

展示を巡るうちに興味をそそられたのは 『周辺に』、『熱帯の花』、『バラの風』 と題した三つの作品である。 ここにはいわゆる植物画とは異なる視点から描かれた植物があった 。『熱帯の花』 の中には植物が土から吸い上げられた栄養が維管束を通して植物の 各部に流れていく様が科学書のように論理ではなく、詩的に描かれている。 なんと精子らしきものまで描き込まれ何かしらユーモラスな雰囲気を醸し出している。現在、熱帯植物を何枚か描いている私はとりわけ興味深くこの絵を鑑賞した。また『バラの風』は画面の中心に赤いバラが据えられ、 同色の背景の中に様々な大きさの矢印が行き交っている。 作品を見る私たちはそのバラが咲いたことにより周りの事物が様々 な影響を受けていることを感覚的な喜びをもって感じるのである。

 

作品につけられた解説によるとシュルレアリズムの画家や詩人は自 然の細部が見せる姿に驚異を感じそこから触発されて作品を産み出 したという。 クレーは論文の中で、自然を絶えず変化する動態の中で理解しようとし、 そこから進んで、芸術家は神の被造物である自然の観察を通して神の 作品に比する作品の創造に預かろうというキリスト教的な世界観を 記しているという。

 

展示を通して、 クレーは様々な造形上の運動の影響を受けながらもあくまで独自の 絵画を追求した画家のように感じられた。 まだ作品が世に出ない時代に妻のリリーがピアノ教師の出稽古で家 計を支えていた時、 家事や生まれた長男のフィリップの世話を引き受け、 育児日記まで几帳面につけていたという。 そういう人となりも併せて作品を見ると彼のヒューマニズム的な側 面が作品に色濃く反映されているように思う。 それが絵を見た時にどんな深刻な主題であってもそこには宣伝的な 要素が微塵も感じられず、 深い人間に対する同情に根差していること、 そしてそれが詩的に描かれていることを感じ、 見ていると心から生きていることを寿ぎたくなるのである。