樹 第16回


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侑子の両親は小さな板金工場を経営していたが、 彼女が高校生の時に破産に追い込まれた。 大学に通っていた頃は奨学金の支給を受けていた。 今にして思えば薬学部はどちらかというと経済的には困らない学生 が多かったようである。 だから奨学生はほんの数人で少数派であった。 学生時代は様々なアルバイトを経験した。 家庭教師はもちろんのこと、 ゴルフ場のキャディーや運送店の事務、ウエイトレスなどで、 授業以外は生活のために働いていた。 この時の経験から初対面の相手を見る時にいつも裕福な環境で育っ たのか否かを本能的に嗅ぎつけるような習慣が出来てしまったよう だ。侑子はそのことを悲しい習性であると思っていた。

印象に残っているアルバイトは市の公会堂で行 われた絵の展示即売会で絵を売ったことである。 たしか京都画廊というような名前であったが実際の会社の所在地は 丹後の山間部であった。 ほとんどは部屋に飾ってもあまり違和感のない風景画である。 つまり存在感をあまり主張しない類型的な絵 ということだろうか。 驚いたことに同じ構図の絵が大小取り混ぜてあり、 侑子は絵を売るというより、 大小の鍋やフライパンなどの台所道具でも売っているような錯覚に とらわれるのだった。 中年の夫婦連れなどが大真面目で絵を選んでいるのをみると、 なにやらおかしく同じアルバイト仲間の女子学生と笑いをかみ殺すのに苦労し たことを覚えている。

自分が絵を描くようになって、その当時のことを思い出し、 あれは絵を買うというより、 壁を埋めるなにかしら家具のようなものとして絵を買っていたのだ と思い至った。本物の絵は高価で庶民には手が出ない。 しかし部屋の壁を絵画で埋めてみたいという欲求は当時、 高まって来ていたのに違いない。 しかしなぜ他人の安っぽい絵で埋めようなどと考えるのだろうか。 侑子はそれが不思議でならなかった。 稚拙でもよいから自分で描いたもの、 あるいは幼な子が殴り書きしたものでもいい、 表現したいという気持ちのほとばしりが感じられるものでどうして 埋めないのだろう。水彩画や写真を撮り始めたのも、 この大学時代のアルバイトの経験が影響しているのかもしれなかっ た。アトリエではそれぞれが自由に表現することが尊重されたが、 ひとえに主宰者の水谷の人柄によるところが大きいと侑子は感じていた。

 

  次回に続きます