樹 第1回

 


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暫くの間、『樹』と題した短編を綴ります。お読み頂ければ幸いです。

 

侑子はときどき十年前のあの出来事を思い返すのだった。 自分の心の中に秘やかに育ちつつあった一本の木、 それが突然倒れてしまったあの日からの時間はそれまでとは異なっ ていた。 しかしそれがどのように異なっていたのかをはっきり掴めないまま であった。ところが最近、 彼女はその木がどうなったかについてあらためて思いを巡らす契機 となった一つの光景に出会ったのである。

侑子は日曜日には近くの緑地を散歩した。 歩いているといろいろな発見や偶然がある。 公園全体はもともとあったコナラやアベマキなどの雑木林を母体に しているのだが、よそから移植したカツラやユリノキ、アキニレ、 ヤマボウシなどが育っている区画がある。 そこにシンボルともいえる大きなポプラの木が一本あった。 シジュウカラの鳴き声に惹かれてカメラを携え、 ひさしぶりにそちらに歩いて行くとなんとそのポプラが無残にも根 を半分むきだしにして引っくり返って倒れているのだった。 犬を連れた人に聞くと、落雷の直撃を受けて木が裂けてしまい、 運悪く翌日襲った台風によってついに耐え切れず突然倒れてしまっ たという。この区画のシンボルのような存在だったポプラ、 まさかこの木がこんなにあっけなく倒れるとは。 移植されたことで根が十分育つことがなく浅かったのだろうか。

 

ところがよく見ると連日の雨のせいで裂けて倒れた幹から空に向か って何十もの新芽が生き生きと立ち上がっているのである。 新しい芽は春の芽吹きの時にみる薄いピンクだった。 よくみるとその倒木の周りには実生が成長したのだろうか、 三十センチほどの幼木が二本ほどすでに成長を始めていた。 それを見た時、侑子の頭に神々しいという言葉がよぎった。 命は繋がれていくのだと信じたくなる一瞬だった。 倒れてもなおエネルギーを放出する樹木のすさまじさを目の当たり にし、 彼女はカメラで鳥を撮ることも忘れてしばらく呆然としていた。 倒れたポプラをそのまま放置すれば若い芽は倒れた巨木を栄養にし て育っていく。そして巨木が朽ちた後、地面に根を張り、 さらに成長を続け、数十年もすれば親と同じような大きさになる。 こうして数十年、 数百年の単位で世代が交代していくことになるのだろうか。

  次回に続きます