樹 第5回

 


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仕事から帰ると部屋の入り口にあるその絵に出会う。そうするとその時の嬉しさがまざまざと蘇えり、まるであの新緑の坂道にまた迷い込んだような心地になった。そして仕事の疲れが一瞬にして洗い流され、自分がまた新しく再生するような清々しい気持ちが体に漲って来るのである。

このキビタキは何度も写真に撮ったこともあるし、実際に近くで見たことのある親しい鳥であった。ところがコナラやアベマキなどその周りの木々を描くのはキビタキを描くのとはまた違った難しさがあった。そのときの、新緑の木々の一枚一枚の葉が太陽に煌めき、風にそよいでいた様子をなんとか表現したかった。何度もその同じ場所に行き、樹木をスケッチした。幹に触れ、ざらつき具合をたしかめた。葉の縁が鋸のようにギザギザしているもの、その切込みも深いものや浅いものなど様々である。葉脈がくっきりしているもの、葉が肉厚でつやがあるもの、手に取って見るとひとつひとつが独特であった。そして樹形もこんもりとしている木もあれば枝を自由に空に向かって伸ばしているものもあり、樹木が立っている佇まいはそれぞれに異なっていた。侑子が写真と絵を描くことの違いをはっきり意識したのはそのときである。写真はシャッターを押すことによってすばやくその光景やその場の空気を切りとる。もちろんどの部分を切り取るのかというところにその人の主体性は存在するが、人の手で描くのではなくカメラという機械の複製技術に依拠するものである。絵はそのようなものではなく、絵を描く人が感じたり考えたりしたことをひとつひとつ積み上げながら表現することによってそのひとの新しい風景を創造できるところに彼女は魅力を感じていた。 

  次回に続きます