エミリー·ディキンソンの詩に寄せて


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Emily Dickinson

 

 《 Hope is the thing with feathers 》

 

“Hope” is the thing with feathers –

That perches in the soul –

And sings the tune without the words –

And never stops – at all –

 

And sweetest – in the Gale – is heard –

And sore must be the storm –

That could abash the little Bird

That kept so many warm –

 

I’ve heard it in the chillest land –

And on the strangest Sea –

Yet – never – in Extremity,

It asked a crumb – of me.

 

「希望」は羽根を付けた生き物―

魂の中に止まりー

言葉のない調べをうたいー

けっしてー休むことがないー

 

そして聞こえるー強風の中でこそー甘美のかぎりにー

嵐は激烈に違いないー

多くの人の心を暖めてきた

小鳥をまごつかせる嵐があるとすればー

 

私は冷えきった土地でその声を聞いたー

見も知らぬ果ての海でー

けれど、貧窮のきわみにあっても、けっして、

それは私にーパン屑をねだったことがない。

 

   亀井俊介編 ディキンソン詩集(岩波文庫)

 

アメリカの詩人エミリー・ディキンソンの詩である。

彼女はとてもつつましやかな生活を送ったひとのようで、 日々の生活を歌いながら普遍的なものを感じさせる詩が多い。 最後の「パン屑ひとつねだったことがない」 というフレーズがいかにも彼女らしい。

 

最近、この詩を切実さをもって思い出す出来事があった。

数日前、いつもより遅い夕食を囲んでいると、 消防のサイレンが暫く続いた。 意外に近かったが心に留めなかった。そして10時頃、 夜の散歩に出た。近くの小さな踏切に幾つかの光が点滅し 人だかりがしていたが、暗闇ではっきりは見えなかった。 数人の警察官が近くで警戒に当たっているのに気がついたが、 尋ねることも憚られてそのまま通り過ぎたのである。

翌日の新聞紙上で『前夜8時過ぎに踏切内に倒れていた23歳の自衛 官が心肺停止の状態で搬送されたが死亡が確認された』と知った。 この踏切は、高架ではなく、 また以前そこに駅舎があったとかで人家が線路と直に接しているた め、運転手にとっては見通しの悪いカーブにある。

私の住む町には近くにこの地方を統括する陸上自衛隊の師団司令部が置か れている。そのためスーパーに行くと迷彩服姿の若い自衛隊員が何人も買い物をしてい る。 ひょっとすると私は彼の脇を通り過ぎたことがあったのかもしれない という思いが心をよぎった。

あの夜のひっそりとした踏切の脇で、 息をひそめて幾つかの通過電車をやり過ごしていたのだろうか。 彼の心臓の鼓動までも聞こえるような気がする。 彼の心の中に吹き荒れる激しい渦。 そのときこの詩の二連がにわかに私の心に浮かんだ。

 

そして聞こえるー強風の中でこそー甘美のかぎりにー

嵐は激烈に違いないー

 

彼は意を決して行動に移したのだろうか, それとも思考をほとんど停止して発作的に飛び込んだのか。 そこまで考えた時、 私自身の幼児の時の体験が戦慄をもって思い出された。 同じ路線のほぼ同じ場所にある踏切、 当時は遮断機もなかったその場所で、私は通過電車を待っていた。 その列車が通過した途端、私は線路に飛び出した。その瞬間、 対抗列車がほんの数メートルのところに迫っていた。 その時の絶叫のような警笛の音が今も私の耳に聞こえる。 彼は同じその警笛をどんな思いで聞いたのだろうか。

数日後、激しい雨が降った。 彼の血は洗い流されたという何かしら安堵の気持ちと、 けれども私はしばらくそこを渡ることはできないだろうという思い が交錯している。

そしてこの詩をあらためて読むとき、 彼のさ迷える魂がいつかこの小鳥と遭遇することができればという祈りが湧き上がってくる。