樹 第12回


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ある日マンションの二階にあるアトリエを解放してパーティが開かれた。描きかけの絵が壁に立てかけられている。会費制で市内のホテルから料理を運んでもらう立食形式の会である。アトリエには六時頃から三々五々人々が集まって来ていた。それぞれが知人や家族を伴っており、侑子が部屋に入った時にはすでにかなり賑やかであった。早川が近づいて来て、妻と友人の杉浦だと言って二人を紹介した。思わず彼の顔をみると平静を装いながらも困惑気味の様子が見てとれた。

「僕たちは大学の農学部林業科の同級なんだ」と言葉を続けた。

「夫からよくお話は伺っています。今日はお会いするのを楽しみに来たのですよ」と早川の妻は早川と杉浦との間でうっすらと笑っていた。「なんて彼は話しているの」と杉浦が興味深そうに尋ねた。「面白い絵を描く人とね」と早川の妻が夫の顔を覗き込みながら答えるのを聞いて侑子は少し戸惑いを覚えた。自分の知らないところで早川と妻の間で話題になっていることにかすかな違和感があった。早川との二人の関係の中に妻が割り込んできたような思いがあった。もちろん妻の方からみれば強引に割り込んできたのは侑子のほうだということになるのは明らかだ。人間とは本当に身勝手なものだという自嘲が彼女を捉えた。妻は本能的に夫の思いを感じ取りここにやって来ることを決心したのだと侑子は妻の心の動きが透けて見えるような気がした。それにしても行動的な女だ。自分の関心のある人間のことはすべてのことを把握しておきたいという熱意の持ち主なのかもしれない。絵でいえば余白を残しておくと不安に思うといった感じなのだろうか、すべてを自分の色で埋め尽くしたいという欲求を自分に禁じえないという。様々な思いが侑子の頭の中に渦巻いた。

侑子はあらためて妻を眺めた。身長は百六十センチを越えているのだろう。侑子と同じぐらいで、細面の顔にうっすらと眉がきれいに端毛で描いたように引かれていた。髪は軽く茶色がかっており、眼は薄い膜に覆われているようでとらえどころがなかった。裕福な家庭で育ったことを感じさせる、さりげないけれど質の良い素材の衣服を身に付けている。リネンのブラウスと裾にフレアーのはいったシルクと思われるブルーのプリント地のスカートを着ていた。そのリネンのブラウスもよく見ると細かいビーズ刺繍がほどこされている。そして愛されて育った人の常として他人は自分のことを受け入れるはずだという根拠のない楽観主義があるように侑子には思えた。杉浦と早川の妻は親しいようであった。杉浦の遠慮のない物言いからそれは感じられた。彼らといると侑子は自分がひとりだけ親密なサークルのようなものからはじき出された存在のように感じて軽い孤独を覚えた。

 

  次回に続きます