樹 第13回


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人が次々と入ってくる。 侑子が飲み物を持ちながらしばらく移動し、 他の人達の話に耳を傾けていると杉浦が近くにいることに気がつい た。彼は水の入ったカップをもって静かに侑子を見つめていた。 彼は「これから車を運転しなければならないので」 とカップに目を移しながら苦笑した。そして「 僕は大学の演習林に勤めているのですが、 その近くに住んでいるので交通の便が極端に悪いのです。 まるで修道院にいるような禁欲的な暮らしですよ」と続けた。 彼は日に焼けてまるで樫の木のようにがっしりしている。 そしてこちらをいたずらっぽくからかうような眼で見つめていた。

「 あなたが鳥の写真を撮っておられるということを早川から聞きまし た。僕は仕事とは離れて趣味で植物を撮っているのですが、昨年、 ニューカレドニアで研究者のシンポジウムがあって珍しい植物を撮 影することができました。 ジャングルの中に分け入って撮影したのですけれど。オムボレラ・ トリコポタという花の名前を聞いたことがありますか」

侑子には初めて聞く名前であった。

「 これは花の元祖といってもよいもので突然変異した植物で白い花び らを持っているのです。地球の陸地の分裂が始まり、 新しい地形や気候が現出しその環境に適応したのが虫媒花なのです 。植物たちは生き残るために虫を利用して生殖をしようとした。 昆虫を惹きつけるために花たちは様々な工夫を始めたというわけで す。 ぼくはその植物たちの工夫のあり様を写真に撮れないかといつも思 っている。なかなか難しいけれどね。

ただ花が美しいといった感傷だけで撮るのはつまらない。 自分たちの生命を永続させようと精力を傾けている植物たちのひた むきさ、 それを掬い取るような一枚を撮れないものかといつも思うのです。 つまりは植物と虫との交感のようなものをね。 ぶしつけな言葉で言えば男と女のそれに似ているかな。 もっとも初対面のひとにこんなことを言うべきではないかもしれな いけど。だからできるだけ虫や鳥も一緒に撮りたい。 桜の花びらをむしるスズメ、椿の蜜を吸うメジロクサギの吸蜜をするクロアゲハなどです。 いつも花は関係性の中にいるのではと思うのです。 人間と同じようにね」

 

  次回に続きます