樹 第20回


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侑子が妻に会ったのは都心のパーラーである。週末の土曜日であった。その数日前に「お久しぶり、お元気ですか」と電話がかかってきた。なぜ彼女はわざわざ連絡をとってきたのであろう。私たちの関係を知っているのだろうか。その時はどういう言い訳もできないだろうと思った。

雲が地平線近くにたなびき、上空には吸い込まれそうな秋の青空が広がっている。侑子はその透明な青色を見ているとなにかしら悲しみが浮かんでくるのが常であった。侑子はベージュの薄手のコートの襟を立ててパーラーのドアを押した。しばらく視線を動かすと片隅に早川の妻の姿が認められた。

「ごめんなさい。お待たせしましたか」と侑子が尋ねると「まだ約束の時間になっていないから」と応じた。しばらくよもやま話をしていたが、早川の妻が真顔になって「お子さんは成長されたのでしょう」と尋ねた。侑子は夫が交通事故で亡くなり、娘は成長して結婚し東京に住んでいると話すと「そうだったのね、たいへんでしたのね」とため息交じりに言った。

早川の妻は相変わらずほっそりとした指に真珠のような光沢を放つマニュキアをきれいにほどこしていた。まるで肉体労働とは無縁という生活感のない小娘のような指だと侑子はまたしても少し意地悪い目でみている自分に気づいた。近くで見ると皮膚はきめ細かく手入れが行き届いているが、そこにうっすらとしみが浮かんでいるのを侑子は見逃さなかった。そしてこのような意地の悪い嫉妬に似た感情をなおも払拭できないでいることに自己嫌悪の気持ちが湧いてくるのであった。なぜ彼女は私に連絡をしてきたのだろう、きっと夫とは会わないでほしいとでも言い渡されることだろうかと侑子は少し緊張していた。

「この間のパーティ―の時は実はあなたにお会いしたかったこともあって伺ったのよ」

ほら、とうとう本題に入ってきたと侑子は自分が皮膚の毛穴まで閉じて身構えているのを感じていた。

 

  次回に続きます