痣 第8回


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新学期の授業が始まって一カ月が経過した。 塵ひとつなく磨き上げられたリノリウムの廊下を歩いていると、 いったい自分はどうしてここにいるのだろうという不思議な感じに 襲われるのであった。 渡り廊下の窓から外をみると運動場のすぐ脇には田畑が広がってい たが、そこにもめったに人影は見られなかった。 まるでこの建物は海の中に浮かぶ島、 他から隔絶された孤島のようだと沢木は思った。

初めて倫理社会の授業のために二年生のクラスに入って行ったとき の奇妙な雰囲気を今も彼はまざまざと覚えている。 教室に足を踏み入れると生徒は静まり返っていた。 机の乱れもなく教室の前後の壁には掲示物もほとんど見られなかっ た。 五時間目の授業だったので昼の休憩時間の名残のような活気が生徒 たちの顔に残っているのではないかと一瞥したがそれもほとんど感 じられなかった。 初めての授業のときによく見られる新しい教師に対する好奇心をあ らわにしたようなざわついた雰囲気もなかった。 教師とはっきり視線を合わせようとする生徒は少なく、 上目づかいに沢木を眺めるか、 こちらが視線を合わせようとすると微妙に視線をずらしてしまう生 徒が多いことに気づいた。 最前列の生徒に自分が教室を間違えたのではないかと聞いてみたが 大丈夫だという。警戒心なのだろうか、 それとも果たしてこの教師は自分たちの敵なのか味方なのかを見極 めようという思惑があるのだろうかと彼は生徒たちを前にして微か な戸惑いを感じていた。 しかし彼らに対してはおもねることも威圧することもしまい、 あくまで自然体でありのままの自分を曝すしかないという諦観のよ うなものが一瞬のうちに彼を捉えた。

生徒たちの自己紹介は短く、親しさはほとんど感じられなかった。 沢木は生徒に向かって話しているうちに教室の廊下側の隅に強い眼 の光を放ってこちらを注視している男子生徒がいるのに気がついた 。体はがっしりして大きく、胸板は厚かった。 沢木がそばにいくと目を合わせることはせず、 露骨に窓の外に無表情な視線を移した。沢木は「 僕の顔に何かついているのかい」と軽口を叩こうとしたが、 取りつく島もなく、仕方なく退却せざるをえなかった。 後に知ったことであるがそれが職員室でよく話題にのぼっている繁 であった。

教室の中には窓からの生温かい微風が吹いていた。 その空気の流れを頬に感じながら沢木は教壇の上に立ち尽くしてい た。生徒たちは言葉を発しないが、 そのふるまいに無言の意思があり、 沢木は自分の一挙一動が彼らに注視されているのを痛いほど感じた 。 彼らの外に向かって表現されるべきエネルギーは内側に籠り屈折し ているようにみえる。 生徒に形だけの静粛さを求めればその内圧はいよいよ大きくなって いくのではないだろうか。 そのエネルギーが激しい風になって大きな立ち木をなぎ倒すさまを 沢木は思い浮かべていた。 あのオリエンテーション合宿を経験した後では、 これからの授業での自分の試みが双方にとって砂漠の中のオアシス になるか、 あるいは危険な油田となるのかは彼にもわからなかった。 様々な予感の中で怯えを含んだ震えるような感情が彼の心をよぎる 。 生徒たちのこの学校で過ごしている時間は自分より長いのだと沢木 はあらためて感じていた。

 

 次回に続きます

 

『死の家の記録』を読んで


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最近、ドストエフスキーの『死の家の記録』を読了した。 今まで読んでいた彼の作品『カラマーゾフの兄弟』や『白痴』 の中で言及されているテーマがこの作品の中に先駆けとして現れて いることに気づかされた。これは彼の書いた創作作品である。 妻を殺害して懲役囚になったゴリャンチコフの書いた監獄生活の体 験記という体裁をとっているが、文中を読み進めると、 この人物の造型は次第に鳴りをひそめ、 政治犯であったドストエフスキーの実体験が基になっていることが 明らかになってくるのである。

ルポルタージュと創作の違いについては大江健三郎が『 新しい文学のために』のなかで語っている。 文学はルポルタージュとは異なり、知覚を難しくし、 長引かせる形式の手法であり、 ものが作り出される過程を体験する方法であると。 確かにこれがルポルタージュの形式を採っていたのなら私たち読者 は対象を外から眺めることに終始したのかもしれない。しかし、 この作品を読む私たちは自らも彼の収監されたオムスク要塞監獄で 250名余りの囚人たちの中に放り込まれ、 そこで四年余りの生活を余儀なくされるのである。初めの一年は“ 恐るべき身を食むような侘しさ” の中で彼は周囲の人々からいかに自分を守るかということに心を砕 くが、次第に過酷な体験の中で彼の思考が深まり、 彼の魂が繊細でかつ強靭なものに変化していく様はこの作品の大き な魅力である。

ドストエフスキーは1849年、 ペトラシェフスキー事件で逮捕された。銃殺刑を宣告されたのち、 刑の執行直前に恩赦により減刑されてオムスク監獄に送られ、4年 の懲役刑に服したという。まず、 圧倒されるのは監獄で囚人たちのおかれる環境の苛烈さと、 そのなかで蠢く囚人たちの思いもかけぬ多様な人間性の描写である 。

この作品が週刊新聞ロシア世界に連載を始めた頃、 検閲局の許可を得るために差し替えの原稿として用意された補足原 稿に、監獄生活について語られた忘れられない記述がある。

彼は聞いた話として、警察が野犬狩りをし、30頭ほどの元気のよ い犬どもを檻付馬車に詰め込んで運んでいったが、 その間に檻の中は身の毛もよだつようなものすごい喧嘩になったと いう。 そして彼は監獄をこの野犬狩りの檻付馬車になぞらえている。“ 足には足かせ、周りはとがった杭の柵、 後ろには銃剣を持った兵隊、太鼓で起床して棒鞭を食らって働く” 、そして“身には烙印, 髪は剃られ、身分権も剥奪”というわけだ。 囚人たちは自由を失い、 自分たちの人生が絶望的であることを否応なしに悟らざるを得ない 。その自由を贖うものとはなんだったのであろうか。

この当時の監獄生活では金が恐るべき意味と力をもち、 囚人たちは博打や喫煙、 果ては酔っぱらうことすらもできるのだという。 彼らは自分たちの得意とする技、 靴職人や仕立て職人であったりするが、 そうした技を監獄の内と外で他人に提供することで小金を稼ぐので ある。なかにはユダヤ人のイサイ・ フォーミーチのように高利貸しまで監獄の中で始めるものもいるの だ。主人公はそれを、金で看守を買収したり、 酒を飲んだりすることで金よりもっと大事なもの、 自由をそれで贖うのだという。 それがなければ人は生きる意味を失い、無気力になると。 この彼の指摘は示唆に富んでいる。私たち人間の一番大切なもの、 守るべきものは何かということは現代に生きる私たちの切実な問題 でもある。 私たちの生活も金であがなう自由の恩恵に大いに浴しているが、 やはりそれだけでは満足できないものがある。

初めの一カ月のあいだ、彼は剥き出しの板寝床、 むっとするような悪臭、呪詛の言葉と恥知らずな笑い、 密告に度肝を抜かれる。 そして何より彼を疎外に追い込んだのは自分が貴族階級に属する人 間であるということである。 農奴や兵士から成る多数の囚人たちから相手にされないどころか、 時に憎しみをもって迎えられた。 この壁は最後まで彼の前に立ちふさがる。 彼は最初の何年かこの自分に向けられる執拗な憎悪から逃れるため に監獄内にある病院に入院したという。 もちろん幾人かの貴族の囚人はいたが、 彼らとても個人的にはなかなか打ち解けた関係までには至らず孤独 は深まっていった。 当時の社会構造としての農奴制は農奴解放令が出る前夜で制度は行 き詰まりを見せていたが、 多くの民衆はその制度の軛のもとで苦しんでいた。 貴族階級に対する不満は極限まで高まっていたのであろう。 結婚の初夜に自らの花嫁を地主に奪われ、 そのため地主を殺害した仲間の懲役囚のことも語られる。 そして実際に貴族階級には鞭打ちなどの体刑罰がないなど、 当局からより注意深く慎重な扱いを受けていたという。

彼は述懐する、 私が民衆とじかに向かい合ったのはこの時が初めてで、 異世界にほうりこまれたように驚きうろたえ、 実体験がもたらす印象は知識や伝聞とはまったく違うと。

そうした憎しみのなかで彼はいかに自らの自尊心を守ろうとしたの だろうか。 まずは内なる感情と良心の命じるままに振舞おうと決心する。 そして彼を狂気から救ったのは全てを貪るように観察しようとする 意志であった。“所詮、 自分の鼻先で起こっていることですら多くを見逃すであろう” としながらも彼は観察者の矜持を保とうとする。そして“ 人間がいかに化け物じみた適応力を持つかを予感” するようになり、囚人たちは“ 監獄の外に残っているほかの人間に比べてそれほど劣っているわけ でもないかもしれない”という境地までに思い至る。 そして自分の命を救うために囚人に課せられた土木作業などの労役 と監獄内での運動を自覚的に試みるようになる。 出獄後も生きていられるように。

その境地に達した彼は次第に周りの得体も知れないと感じていた囚 人たちの一人一人を次第にくっきりと認識できるようになっていく 。その過程は読むものにとって刺激的でもある。 初めは囚人たちをむっつりと押し黙っているものと異様にはしゃぎ まくっているものという二大類型にしか認識できなかった。 しかし、次第に様々な人間たちをつぶさに観察し始める。 そして彼らに直接疑問をぶつけ、 引き出した答えを検討することによって彼らをより深く理解しよう と努めていくのである。

彼は、幾度も250余名の囚人たちを様々なグループに分類しよう と試みるが、 そのたびにその試みが無益に終わるだろうという懐疑の念に捉えら れる。 それぞれの人間には集団内での振る舞いなどに見られる外面的な要 素とそれだけではなく他からなかなか窺い知れない内面生活がある ことを認識し、時々その内なるものが思いもかけず、 立ち現れてくる瞬間を感じ取ることができるようになっていく。時 には無教養で抑圧された階層と蔑んでいた人間のうちに思わぬ豊か な感情の迸りを発見する。 また逆に教養がありながらもそれが野蛮で残虐な精神と共存してい ることがあることを身をもって感得するのである。 彼の個々の囚人たちへの言及はとても興味深い。完全な野獣で、 精神が鈍く肉体があらゆる精神的素質を抑圧し、 肉の快楽に対する荒々しい渇望しかみとめられない男、その逆で内 に秘めた精神のエネルギーが肉体を強力に支えており、 復讐や目指した目標の達成を求めている男、 どんな社会階層にもみられるいつも集団内で下働きをする一文無し の裸虫のような男たち、 何事にも完全に無関心である男などである。

そして彼は自らに二つの深刻な問いを発するのである。

第一のそれは同様な犯罪に対する処罰の不平等という問題である。 刑期には差があるが、 人の性格が多種であるように犯罪も多様であるとし、 次のような例をあげる。ただ自分の快楽のために子供を殺す、 好色な暴君の手から自分の花嫁を守るために殺す、 街道で人を殺してたった一つの玉ねぎを奪う、 それらのひとが同じ監獄にいる。 そして刑罰の結果そのものも差異があると。 刑罰の前に自分の良心の痛みから死ぬほどの苦しみを味わう人間か ら、 自分の犯した殺人のことをまるで歯牙にもかけないような人間まで いることを実際の監獄の囚人仲間の中に見て取るのである。 果たして刑罰の効果はどのように考えるべきかと彼は自問する。 これは死刑の廃止の是非にもつながる現代的な問題である。

第二は体罰刑がもたらす大きな社会的影響である。 体刑罰には棒鞭と枝鞭があり、 それで囚人の背中を打つのであるが、 医者が臨席し死の直前まで執行されることもあったようだ。 体刑の執行官としてのジェレブヤートニコフ中尉についての記述は おぞましい限りである。彼は体刑の芸を愛し、 手の込んだ工夫や仕掛けを自ら案出して楽しんでいた。 血と権力は人を酔わせて理性と感情を喪失させ、 ついにはそれを快楽となすとあり、 併せて人間が他の人間を体刑に処す権利は市民社会の芽を摘み社会 を解体させると指摘する。 歴史にはそのような暴君は枚挙に暇がないが、 このような傾向が誰もにあるとすれば、 人間性の持っている負の側面には思わず目をそむけたくなってくる のである。

また、描かれる囚人の多様な出自にも刮目して驚かされる。 農奴や兵隊、貴族いう階級の違いはもとより、職種、 民族の異なった多様な人々が登場する。 ポーランド政治犯からイスラムのチェルケス人、 ロシア人に反乱を企てたということで捕らえられたダゲスタンのタ タール人、 宝石細工職人で金貸しのユダヤ人など数え上げればきりがない。 まさに当時からロシアが混沌とした多民族国家であったことを証明 しているのではないだろうか。

この作品のなかでは幾つかの特に印象に残る場面があった。 そのひとつは彼らが公衆浴場に入浴する際の様子である。 奥行きも幅も12歩ぐらいの部屋に100人ほどの囚人が足かせを つけたまま一度に入浴するのである。彼は次のように記述する。 もしそろって地獄に堕ちることがあったとしたらきっとこの場所に そっくりだろうと。 彼らは一刻も足かせから逃れることはできないのである。そして、 キリスト降誕祭に行われる監獄の囚人たちによる劇の描写はこの作 品のハイライトである。降誕祭を獄中で祝うことは、 たとえ自分が監獄にいても世間の人々とともに祝うことで世間と繋 がっていることを確認できる大切な機会のようだ。 あちこちから施しものがあり、 町の主婦が作ったパンやクッキーが均等に分配されるのである。 彼は、囚人の間には友情は皆無で素気ない付き合いしかなく、 それが正式の作法だというが、 この観劇の最中には笑いや感情の爆発があり、 確かに彼らは心の底から舞台を楽しみ、 同じ監獄の囚人の演技にエールを送るのである。 ロシアには民衆演劇の伝統があり、 地主階級はそれぞれ自前の劇団を持っていたという。 足かせは填められていたとしても、 入浴はまさに肉体の解放であり、 観劇は精神の解放に繋がっているのではないだろうか。 いずれも人間の自由の両輪をなすものである。

そして囚人だけではなくその周辺にいる人々を様々なかたちで描き出 している。登場する女性はそれほど多くないが、ナスターシャ・ イワーノブナーは自身も貧しいのにもかかわらず、 囚人たちに幾多の贈り物を施し愛が何であるのかを体現する女性で ある。

また監獄の所長の少佐も忘れることができない。 彼は酔っぱらいで喧嘩早い無法者でその残忍性で囚人たちを心底震 え上がらせた人物である。 囚人を押さえつけることは自分の小心さから出ていたようであるが 最後は裁判に掛けられ罷免された。

この両極端ともいえる二人の人間は、 人類という種がいかに多様性に満ちているかという人生の奥深さを 想起させるものである。

最後にスシーロフのエピソードでこの小文を終わりたいと思う。 スシーロフは屋敷付きの農奴だった男で、 懲役囚ではなく単なる強制入植者であったが、 銀貨1ルーブリと赤いルバシカと引き換えに特別監房送りの重罪人 の身代わりになった男である。 他の囚人仲間から嘲笑されていたこの男は、 ゴリャンチコフに懐き、彼の身の回りの世話を買って出て、 少額の対価を貰っていた。 しかし彼の不用意な金を巡る発言から自分の誠意を疑われたと感じ たスシーロフはそれ以後もその叱責を忘れることはなかったようだ と彼は自分の後悔を記している。そして彼が出獄する際に、 後に残るスシーロフが“ あんたがいなくなったら俺はいったい誰を頼りにすりゃいいんだ” と嗚咽したとあることから、 この二人の間になにかしら特別な関係が築かれていたことが読み取 れる。侘しさの募る“死の家” で彼が最後にはこのような果実を得ることができたということは私 たちのもつ人間性への大きな励ましに繋がるように感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

痣 第7回


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「君は数年ほかの社会を経験してきたというじゃないか。どうだ、ここでうまくやっていけそうか」

久米はだいぶ酔っているらしくその言葉には絡みつくような悪意が感じられた。

「そうですね。まだ日が浅いので何とも言えませんが。でも上からの指示が絶対というところは会社も学校も同じですよ」そしてその上司の命令が適当なものであるのかどうかを下の者が問うことは許されないのだという最も言いたいところは飲み込んで口には出さなかった。沢木のその言葉を聞いて周りの教師たちが少し後ずさりするような雰囲気になったのを彼は敏感に感じ取っていた。強い者に対しておもねることや盲従することを潔しとしないなら、ほかに取るべきどのような態度が残っているのだろうか。沢木はこれまで学生時代のあの大学紛争の喧騒の中を含めていつもそれを探し続けてきたように感じていた。今までは観察しながらも行動することは少なくいわば傍観者であったが、この職場でそれが通用するかどうかは彼にはわからなかった。沢木の言葉を聞いて急に不機嫌になった久米の態度からは、彼が沢木をあの入学説明会で質問した父親と同様、要注意人物のリストに入れたことが窺えた。

翌日もほぼ同じスケジュールで活動が続き、最終日には今までの訓練の集大成ともいうべく芝生の運動場で集合離散の訓練の成果が披露された。やはりこれは美とは程遠いものだと沢木はあらためて感じていた。本来美というものの中には生き生きとした躍動感が宿っているはずだ。生徒たちの動きは機械のように正確なものではあったが表情は硬く、自分がミスをして咎められると他の生徒に迷惑が及ぶのではと恐れる気持ちが彼らの心身の伸び伸びとした自由を奪っているように見えた。

合宿の最後に登壇した校務主任はつぎのように切り出した。「これで君たちはわが校の生徒としての第一歩を踏み出した。今まで中学校で教えられたさまざまなものはすべて忘れるように」この言葉は最近どこかで聞いたことがあるように感じられた。そうだ、四月早々に行われた教育委員会主催の新任研修で教育長が語ったものと同じ論理であった。大学で学んだことはすべて忘れるようにと訓示があった時には沢木は耳を疑った。このように知性をあからさまに否定することが教育の場で行われていることに慄然としたのである。普通高校では大学進学率を上げることが至上命令となっており、入試に対応できるようにすべてのカリキュラムが組まれていたと言っても過言ではない。それなのにその大学で行われる教育を否定するとはなんという論理の矛盾なのだろうと思った。

 

沢木にとってずいぶん長く感じられた二泊三日の合宿は現地で解散であった。彼はこのところの息苦しさを発散させるためにすぐには帰途につかず、施設の周りにある雑木林に足を向けた。あちらこちらで新芽が萌えいずる気配が感じられた。コナラやシラカシの林の先端部分は薄いピンク色に染まり、春の芽吹きが始まっている。コナラは冬の間はすっかり葉を落としていたが、今は薄緑色の柔らかい若い新葉が枝全体を覆っている。彼はその若葉の間に垂れ下がるような房状の雄花があることに気付いた。そして枝の先端を見ると、言われてみなければわからないほどのつつましやかな雌花が咲いている。木の幹に手を添え、耳を近づけると、生殖の季節を迎えているらしいコナラの木の中にさわさわという水の流れを意識した。その流れが彼の手にもなにかしらの力を放出してくるようだった。なおもゆっくり歩いていくとアカマツがあった。よく見ると、アカマツも緑の針葉の中に松かさと同じようなアイボリーの雄花と雌花をつけている。沢木はその雄花を手に取り、一つ一つの突起に触れた。よく見るとその象牙のような突起は精緻に刻まれた彫刻のようである。同じ木にあるいくつかの雄花を見比べても一つとして同じものはなかった。形状は少し細長いものや丸みを帯びたものなど様々であった。アイボリーの色にも濃淡があり、触った時の湿り具合も一つ一つが異なっていた。沢木はこの二、三日の合宿での生徒たちのことを思い出した。彼らが本来もっているであろうそれぞれの突起のようなものを少しでも垣間見ることができればという思いはついに実現されることがなかった。沢木はこれから先、あの学校で自分がどう振舞っていったらいいのかと茫漠とした不安な思いに包まれながら雑木林の中を歩いていた。

 

  次回に続きます

痣 第6回


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その後はオリエンテーリングに移り、班どうしの競争になっていった。あくまで班員は班長の指示、判断に従うことが求められ、初めは無邪気に騒いでいた生徒たちも次第に周りを窺うような伏し目がちの眼になり、表情もあいまいなものになっていった。その様はできるだけ自分らしさを消して集団の中に溶けていくことを目指しているかのようである。まるで軍隊における新兵の訓練だと沢木は思った。訓練のための訓練などというものはありえないはずだ、そうだとしたら彼らは誰とあるいは何と戦うのか、あるいは誰のために。様々な疑問が彼の心に浮かんでは消えていった。

久米は指令台の上に立ってまるで部隊長にでもなったかのように得意そうに号令をかけていた。沢木は以前、叔父から聞いた日本陸軍の一兵卒の悲哀に満ちた軍隊生活を思い出していた。沢木は戦後生まれであったので実際に軍隊を経験したことはなかったが、一連の訓練を見ていると戦前にタイムトリップしたかのような錯覚に襲われるのだった。

一日のスケジュールがようやく終わり、夕食を済ませると就寝時間は九時であった。その後教師たちは二人一組になり、各部屋の巡回を行わなければならないという。静かに足音を立てないように部屋に近づき、騒いでいるものがいないか扉の所で聞き耳を立てるのはまるで自分がスパイにでもなったような気がして落ち着かなかった。沢木は大人になってこんな子供じみたことをしなければならないとは想像だにしなかった。騒いでいるのがみつかったときにはやはりその生徒が属する班員すべてが廊下に正座させられるのである。

午後の十時過ぎに見回りを終え、沢木は部屋に戻ってきた。新しく赴任した教師たちは三つの部屋に分かれて泊まっていた。それぞれが校務委員の教師のいずれかと同室になるように配慮されており、沢木はこの合宿の責任者である体育科の久米と一緒であった。消灯後の見回りから帰ってきた久米は寝酒だと言ってカバンからウイスキーの瓶を取り出し、グラスについだ最初の一杯を一気に飲み干した。確かこの施設は禁酒禁煙だったはずだと沢木は思ったが、久米は躊躇する様子もなかった。この部屋にいるのは久米のほかはすべて新しく赴任してきた教師ばかりである。酔いが回ってくると久米はだんだん饒舌になっていった。沢木は久米の目の周りの青い痣がアルコールのために赤みを増して左目の周辺が大きく見開いているようになっていくのを感嘆の面持ちで眺めていた。まるで潮が満ちてくるように顔全体の風貌が変化しているのだ。

「俺は体育大学の学生だった頃、よく先輩たちに無理やり飲ませられたものさ。受けた杯は全部飲み干さないと殴られる。それが嫌で初めは飲めなかった酒も練習して強くなった」

久米は得意げにほかの教師を眺めていたが、沢木は積極的に相槌を打つこともせず黙って座っていた。そんな彼を久米は探るような目つきで見た。

痣 第5回


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四月に入り、校門脇の桜は満開であった。植えられてから日が浅いため、幹は細かった。近隣の県営の公園施設で、新入生のために二泊三日のオリエンテーション合宿があると聞いたのは入学式の日である。校務主任はそれに先立ち、参加する新しく赴任してきた教師たちを職員室に集めて周りに聞こえるような大声で説明した。

「この行事は生徒と教師が親睦を深め、学校生活を円滑に進める第一歩であるなどと勘違いしてもらっては困るよ」いったい何が言いたいのかと沢木はおのずと身構えていた。

「今の生徒は規律がなっていない。数年前に全国で見られた高校の卒業式での勝手なふるまいを覚えていますか。生徒たちは式の中で学校の体制を平気で批判していた。このようになったらもはや学校の秩序は維持されない。今度の合宿はそういったことを防ぐための第一歩であると言う意味でも、とても重要な行事であることを忘れないように」彼はそう言い終わって参加予定の七名の教師をじっと見た。沢木はほかの教師をそっと横目で窺ったが、彼らが何を考えているかわかるはずもなかった。

校務主任が言及したのは、ベトナム戦争たけなわの頃のことで、世界的な反戦運動が日本の大学でも激しさを増し、それが高校へ波及していた事実を指していた。たしかこれに懲りて文部省は高校生の集会を禁止したはずだと沢木はしばらく前に読んだ新聞記事を思い出していた。それにしてもこの合宿がどのようなものであるのかは周りに聞いてもほとんど要領を得ない答しか返ってこなかった。なかには見てのお楽しみと無責任に言い放つ者さえいた。

 

公園内にはたくさんの桜の大木があり、地面は散り急いだ花びらで薄いピンクに染まっている。新入生は各部屋に七、八名ずつ分宿することになっていた。沢木の担当したのは五組で、彼は一年生のこのクラスで地理を担当することになっていた。クラスは七つの班に分けられ、それぞれに班長が決められている。生徒たちは公園内にある宿泊施設の各自の部屋に荷物を置いて運動場に集まってきた。集合を確認するための点呼が行われたが遅れる生徒も多かった。彼らはお互いにまだそれほど馴染みがあるわけでもないのでどことなくよそよそしく落ち着きのない雰囲気であった。

「集合時間に遅れた班の班長は列から出ろ」

突然、全体の指揮を執る体育科の久米が大きな声で怒鳴った。顔の左側にある大きな青痣が怒気を含んでいつもより赤黒く見える。その痣は左目のすぐ下のところに迫っていたのでいつもより目がより大きく見開かれているように感じられた。十名ほどの生徒がノロノロした足取りで列外に進み出てきた。

「集合時間に遅れたのは遅れた本人の責任に加えて班全員の連帯責任である。班長は班の行動すべてに責任を負うことと肝に銘じよ」

久米の説諭の後、運動場ではしばらくの間、集合と離散の練習が繰り返された。初めはざわついていた生徒たちも短時間のうちにその行動は短くきびきびしたものに変わっていった。四百人余りの生徒が短い時間に集合、離散を繰り返すさまはまるでマスゲームでも見ているようで美しいとさえ沢木には感じられた。しかし、すぐにこうしたものを安易に美と呼ぶことを差し控えなければならないと彼は思い直していた。その美しさに実体があるようには感じられず、また心揺さぶられるような繊細さもなかった。

 

 次回に続きます

痣 第4回

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夜になり、雪はいよいよ激しく降りしきっている。 近くを走る車の警笛が聞こえたが、 それはまるで閉ざされた世界の向こう側から聞こえてくるようであ った。 台所のテーブルの上にはありあわせの材料で作られた夕食が 並んでいた。沢木は缶ビールの蓋を開けて一口飲み干すと、 ふっと緊張がほぐれるような安堵感が体中に広がった。 彼はしばらくぼんやりしていたが、思いはいつしか昼間あった入学説明会での出来事を反芻していた。 校務主任はまだ正式の入学の許可は入学式で行われるのでこの場は 生徒が入学を辞退できる最後の機会であると言っていたが本当にそ うなのだろうか。私学に合格していた生徒も多かったと思うが、 彼らはそれを断って最終的にこの学校を選んだのであり、 今となってはほかに選択の余地はないはずであった。 そうなればあの言葉は脅迫以外の何ものでもない。 あらためて沢木は頭の中に昼間の校務主任の言葉が鳴り響くのを感 じた。この学校の体制に従えなければ出ていけという言葉は、 生徒に向けられたものだけではなく職員全体に対する恫喝でもある のだろうと彼は考えていた。

その時、窓の外で男が突然怒鳴り散らす声が聞こえた。 雪のなかを酔っ払いが通りかかったようである。 滑って雪の中に倒れ込んでそのまま凍死などということにならねば いいがという思いがふと彼の心をよぎった。 これから自分も酔いの力を借りて日々を乗り切らなければならない こともあるやもしれぬと彼は心の中にざわめくものを予感していた 。しかし彼の酔いはこのような泥酔とは程遠いもので、 アルコールが体の中に入れば入るほど頭が冷たく冴えわたるような感があった。それは自分を包んでいた感情のベールが剥ぎ取られて理性というも のがむき出しになっていく感覚であり、 酔うことによって理性のコントロールが効かなくなるといった通常の酔いとは異なるものであった。 しかしそれにしてもと、彼は再びあの学校を初めて訪れた日のことを 思い出した。春休みであったので生徒の姿はなかったが、 今日のような出来事のあとでは、 その時感じたあの生徒不在の感覚がよりリアルなものとして蘇ってきた。 新学期が始まって生徒が学校に戻ってきたとしてもその感覚は自分の中に色濃く残っていくであろう。 レントゲンで人体を透視した時に骨や臓器が現れるように、 この学校の持っている基本的な構造が浮かび上がってきたものであ ることを彼は直感していた。

 

 次回に続きます

痣 第3回


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数日後、それは三月末の季節外れの雪が降りしきる日であった。 体育館には次々と親たちに付き添われた生徒たちが入場していた。 彼らが外から身に纏ってきた春の雪はたちまち解け、 床に薄い水たまりを作った。 職員たちはモップを持って入り口付近の濡れた床を拭いている。 あいにくの天候であったが、受験の緊張から解き放たれた生徒たちの 間にはどことなく明るい気分が漂っていた

定刻になると教頭が体育館の舞台の脇から登壇した。 まず背後にある日の丸に慇懃に一礼してから前に進み、 水差しの置いてある机の前に立った。 簡単に今日の入学説明会の予定を述べ、 司会をするために脇にあるマイクの前に退いた。その後、校長の挨拶があったが、 内容は生徒たちの受験の苦労をねぎらい、入学後の生活が希望に満ちたものであ るようにというものであった。その後、 校務主任が登壇し

「入学に際しての諸注意で一つ確認しておきたいことがあります。 今はまだ皆さんは入学許可の下りる前なので、 この学校の規則に従えないものは直ちにこの場から出ていくように 」と言った。会場内は一瞬静まり返り、 参加者たちは彼をいぶかしげに見つめた。 唐突に言い放たれたこの言葉を聞いて場内に漂っていた高揚感はみ るみるしぼんでいった。 沢木は着任早々で校務主任のことはまだよく知らなかったが、 周りをそれとなく眺めると教師のほとんどは動揺をみせることもな く体育館にいる生徒と親の集団を凝視している。 彼らはこれを入学説明会という場で毎年行われる恒例のなりゆきと 理解しているようで動揺する様子はなかった。 しばらくすると硬い雰囲気の静寂を破って一人の父親が立ち上がり 、

「 学校の定める規則というのは具体的には生徒手帳に書かれているも のと理解してよろしいのでしょうか。」 と落ち着いた様子で発言した。 背広にネクタイ姿の四十代後半から五十代前半とみられる男であっ た。校務主任が肯定すると

「 生徒は学校の規則に従うべきであるということは集団生活をしてい く上で大切であると理解はできますが、 ただちにここから出ていくようにとか、入学を辞退する最後の機会と かいうのは少し乱暴なような気がするのですが」 とその父親はやんわりと釘を刺すように言った。 主任は自分の発言がたしなめられた形になったことに顔を赤くして 上着のポケットからハンカチを出して顔を拭った。 しかし自らの発言を翻すことはなく興奮した面持ちで次のように締 めくくった。

「 私たちは職員一丸となって信念をもってこの学校の教育に当たって いるのです。 はじめにご父兄に学校の方針をしっかり理解してもらい、 今後生徒が家庭内において学校であった様々なことについて不平不 満をいう場合もあると思うが動揺しないで頂きたい」

ほかの父兄達はその両者のやり取りを戸惑いを含んだ真剣な面持ち で聞いていたが、やがてお互いに目を伏せ、押し黙ってしまった。 発言を求めた父親は釈然としない様子であったが、 彼に続く発言がまったくないことに気付くとやはり同じように沈黙 した。会場はいまや重苦しい雰囲気に包まれた。 説明会を終えて会場を後にする新入生の歩みはノロノロとして、 沢木にはそれが檻の中に囲い込まれた家畜の群れであるかのように 感じられた。

職員室に戻ると数人の教師がその日の説明会での出来事について話 していた。

「 父兄からああいった形で質問が出たのは今までにはなかったことだな」

「あの父親には気を付けなければならないぞ。 これからいろいろ文句をつけてくるかもしれない」

「 あの父親の生徒を特定してベテランのクラスに入れてチェックして 行く必要があるな」

「そうだな。後々の火種になりかねないぞ」

沢木は彼らの話にそれとなく耳を傾けていたが、 そのグループの教師たちが校務委員会を構成する管理職たちと同じ発想をしていることに気付いた。 どうやら教師間には教頭をトップに出身大学による派閥が形成され ている様子で、 昨年赴任した校長は蚊帳の外に置かれているようであった。

 

 次回に続きます