痣 第3回


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数日後、それは三月末の季節外れの雪が降りしきる日であった。 体育館には次々と親たちに付き添われた生徒たちが入場していた。 彼らが外から身に纏ってきた春の雪はたちまち解け、 床に薄い水たまりを作った。 職員たちはモップを持って入り口付近の濡れた床を拭いている。 あいにくの天候であったが、受験の緊張から解き放たれた生徒たちの 間にはどことなく明るい気分が漂っていた

定刻になると教頭が体育館の舞台の脇から登壇した。 まず背後にある日の丸に慇懃に一礼してから前に進み、 水差しの置いてある机の前に立った。 簡単に今日の入学説明会の予定を述べ、 司会をするために脇にあるマイクの前に退いた。その後、校長の挨拶があったが、 内容は生徒たちの受験の苦労をねぎらい、入学後の生活が希望に満ちたものであ るようにというものであった。その後、 校務主任が登壇し

「入学に際しての諸注意で一つ確認しておきたいことがあります。 今はまだ皆さんは入学許可の下りる前なので、 この学校の規則に従えないものは直ちにこの場から出ていくように 」と言った。会場内は一瞬静まり返り、 参加者たちは彼をいぶかしげに見つめた。 唐突に言い放たれたこの言葉を聞いて場内に漂っていた高揚感はみ るみるしぼんでいった。 沢木は着任早々で校務主任のことはまだよく知らなかったが、 周りをそれとなく眺めると教師のほとんどは動揺をみせることもな く体育館にいる生徒と親の集団を凝視している。 彼らはこれを入学説明会という場で毎年行われる恒例のなりゆきと 理解しているようで動揺する様子はなかった。 しばらくすると硬い雰囲気の静寂を破って一人の父親が立ち上がり 、

「 学校の定める規則というのは具体的には生徒手帳に書かれているも のと理解してよろしいのでしょうか。」 と落ち着いた様子で発言した。 背広にネクタイ姿の四十代後半から五十代前半とみられる男であっ た。校務主任が肯定すると

「 生徒は学校の規則に従うべきであるということは集団生活をしてい く上で大切であると理解はできますが、 ただちにここから出ていくようにとか、入学を辞退する最後の機会と かいうのは少し乱暴なような気がするのですが」 とその父親はやんわりと釘を刺すように言った。 主任は自分の発言がたしなめられた形になったことに顔を赤くして 上着のポケットからハンカチを出して顔を拭った。 しかし自らの発言を翻すことはなく興奮した面持ちで次のように締 めくくった。

「 私たちは職員一丸となって信念をもってこの学校の教育に当たって いるのです。 はじめにご父兄に学校の方針をしっかり理解してもらい、 今後生徒が家庭内において学校であった様々なことについて不平不 満をいう場合もあると思うが動揺しないで頂きたい」

ほかの父兄達はその両者のやり取りを戸惑いを含んだ真剣な面持ち で聞いていたが、やがてお互いに目を伏せ、押し黙ってしまった。 発言を求めた父親は釈然としない様子であったが、 彼に続く発言がまったくないことに気付くとやはり同じように沈黙 した。会場はいまや重苦しい雰囲気に包まれた。 説明会を終えて会場を後にする新入生の歩みはノロノロとして、 沢木にはそれが檻の中に囲い込まれた家畜の群れであるかのように 感じられた。

職員室に戻ると数人の教師がその日の説明会での出来事について話 していた。

「 父兄からああいった形で質問が出たのは今までにはなかったことだな」

「あの父親には気を付けなければならないぞ。 これからいろいろ文句をつけてくるかもしれない」

「 あの父親の生徒を特定してベテランのクラスに入れてチェックして 行く必要があるな」

「そうだな。後々の火種になりかねないぞ」

沢木は彼らの話にそれとなく耳を傾けていたが、 そのグループの教師たちが校務委員会を構成する管理職たちと同じ発想をしていることに気付いた。 どうやら教師間には教頭をトップに出身大学による派閥が形成され ている様子で、 昨年赴任した校長は蚊帳の外に置かれているようであった。

 

 次回に続きます