痣 第5回


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四月に入り、校門脇の桜は満開であった。植えられてから日が浅いため、幹は細かった。近隣の県営の公園施設で、新入生のために二泊三日のオリエンテーション合宿があると聞いたのは入学式の日である。校務主任はそれに先立ち、参加する新しく赴任してきた教師たちを職員室に集めて周りに聞こえるような大声で説明した。

「この行事は生徒と教師が親睦を深め、学校生活を円滑に進める第一歩であるなどと勘違いしてもらっては困るよ」いったい何が言いたいのかと沢木はおのずと身構えていた。

「今の生徒は規律がなっていない。数年前に全国で見られた高校の卒業式での勝手なふるまいを覚えていますか。生徒たちは式の中で学校の体制を平気で批判していた。このようになったらもはや学校の秩序は維持されない。今度の合宿はそういったことを防ぐための第一歩であると言う意味でも、とても重要な行事であることを忘れないように」彼はそう言い終わって参加予定の七名の教師をじっと見た。沢木はほかの教師をそっと横目で窺ったが、彼らが何を考えているかわかるはずもなかった。

校務主任が言及したのは、ベトナム戦争たけなわの頃のことで、世界的な反戦運動が日本の大学でも激しさを増し、それが高校へ波及していた事実を指していた。たしかこれに懲りて文部省は高校生の集会を禁止したはずだと沢木はしばらく前に読んだ新聞記事を思い出していた。それにしてもこの合宿がどのようなものであるのかは周りに聞いてもほとんど要領を得ない答しか返ってこなかった。なかには見てのお楽しみと無責任に言い放つ者さえいた。

 

公園内にはたくさんの桜の大木があり、地面は散り急いだ花びらで薄いピンクに染まっている。新入生は各部屋に七、八名ずつ分宿することになっていた。沢木の担当したのは五組で、彼は一年生のこのクラスで地理を担当することになっていた。クラスは七つの班に分けられ、それぞれに班長が決められている。生徒たちは公園内にある宿泊施設の各自の部屋に荷物を置いて運動場に集まってきた。集合を確認するための点呼が行われたが遅れる生徒も多かった。彼らはお互いにまだそれほど馴染みがあるわけでもないのでどことなくよそよそしく落ち着きのない雰囲気であった。

「集合時間に遅れた班の班長は列から出ろ」

突然、全体の指揮を執る体育科の久米が大きな声で怒鳴った。顔の左側にある大きな青痣が怒気を含んでいつもより赤黒く見える。その痣は左目のすぐ下のところに迫っていたのでいつもより目がより大きく見開かれているように感じられた。十名ほどの生徒がノロノロした足取りで列外に進み出てきた。

「集合時間に遅れたのは遅れた本人の責任に加えて班全員の連帯責任である。班長は班の行動すべてに責任を負うことと肝に銘じよ」

久米の説諭の後、運動場ではしばらくの間、集合と離散の練習が繰り返された。初めはざわついていた生徒たちも短時間のうちにその行動は短くきびきびしたものに変わっていった。四百人余りの生徒が短い時間に集合、離散を繰り返すさまはまるでマスゲームでも見ているようで美しいとさえ沢木には感じられた。しかし、すぐにこうしたものを安易に美と呼ぶことを差し控えなければならないと彼は思い直していた。その美しさに実体があるようには感じられず、また心揺さぶられるような繊細さもなかった。

 

 次回に続きます