痣 第2回


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そこは数年前に新設された県立高校で、 沢木は四月から勤務することになっていた。 敷地内に足を踏み入れると、 先ほど遠目から見た無愛想な四階建てのコンクリートの建物があっ た。玄関を入ると両脇にガラスケースがあり、 その中には運動部の活躍を示すトロフィーや楯が陳列されている。 そのガラスケースの横にまたしても校旗と日章旗、 県旗の三本の旗があるのが目に留まった。 沢木は日章旗にあの金色をしたガラス玉がきちんとおさまっている のを見て、 なにかほっとしたような気分になったのを我ながらおかしく感じて いた。

春休みで生徒の姿はなくリノリウム張りの廊下はしんと静まり返っ ている。人影の少ない学校はまるで大きな檻のようであった。 校長室にはいっていくと温厚そうな紳士が座っていた。聞けば、 彼も昨年、新しく赴任して来たばかりだという。 校長はさっそく教科主任を呼んだが、 入ってきたのは四十代のメガネをかけた猫背気味の男であった。 重心の低いがっしりした体つきで、 顎が張った顔のメガネの奥の眼は油断なく動いている。 どちらかというと自分は校長の方に親近感を抱いたようだと沢木は 自らの心の内を静かに眺めていた。 彼はその主任の川口に促されて職員室に移動した。

「君は今までは会社勤めをしていたのですね」と川口が言った。 そして言葉をつなげて、「ここは新設の普通校で、 受験の成績を向上させることがとりあえずこの学校の目指すところ です」と言った。 まるで会社の営業成績について話すようなあっけらかんとした響き があった。

「世界史と日本史はすでに担当が決っているので、 あなたは二年生の倫理社会と一年の一クラスの地理を受け持っても らいたい」と川口は言い、 彼自身は日本史を担当しているとのことであった。 沢木は自らの高校時代の授業の様子を思い出していた。 歴史は事件や項目の暗記が中心で、 いかに効率よくたくさんの知識を詰め込むかが問題であった。 彼は自分が食べたいと思わないのに無理やりおいしくもない餌を食 べさせられるケージの中のブロイラーになったような感じがしたも のだった。

大学に入ってさまざまな講義に触れたとき、 あの受験生のときの効率よく飼料を食べるブロイラーの態度が身に ついていた彼は面喰ってしまった。ようやくケージから出て、 落穂や土中にいるミミズを引っ張り出して餌を食べているような気 持になったのは入学後しばらくしてからである。 自然の中に解き放たれ、 朝露に濡れた大地のひんやりした感触を自分の脚で確かめるのは楽 しかった。こうして大学に入り、 ようやく大きく息を吸って体内に新鮮な空気が入ってきたような開 放感を味わったのである。

しかし川口の話を聞いていると、 また高校時代に逆戻りかという苦々しい思いがこみ上げてきた。 そして自分はベテランであるといわんばかりの彼の無邪気ともいえ る過度の自信はあの金の球のない日章旗のような少し間の抜けた滑 稽さを感じさせた。 しかし倫理社会を教えることで受験という枠組みから自由でいられ るのは嬉しかった。教科の中身は哲学、思想史といったもので、 大学で勉強した知識だけではとうてい手に負える代物ではないとい うことに沢木は気づいてはいたが、 授業に新しく取り組むことで大学以来遠ざかっていた学問を自らの 生活の中に取り戻すことができるのではないかという思いがあった 。 生徒をどれだけ授業に惹きつけることができるのかは未知数であっ たが、彼は気持ちが昂揚してくるのを感じていた。

 

 次回に続きます

 

『フランケンシュタイン』を読んで


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物語は北極海の探検に向かうウオルトン船長が姉のマーガレットに 送る書簡の形で始まる。彼はその航海の途中にヴィクター・ フランケンシュタインと会い、彼の話に引き込まれ、 彼の数奇な運命を記録することを決意する。

全編を読んで心に迫って来たのは、 自らの愛するものをすべて奪われたヴィクターの悲嘆も然る事なが ら、彼に創造された「怪物」の底知れぬ悲しみである。 醜い外見をもった人間として創造されたが、 彼は本能に導かれたのかそれは定かではないが、 自らの力で感情と知性を獲得していく。

アルプス山中のモンブランを望む山中で彼が創造主から見放され、 自らの力で生存を試みたそれまでの経過を語る部分は印象的である 。それは親の愛情と庇護を得られず、 世の中に放り出された子供の辿る運命で、 深い悲しみと呪詛に満ちていた。

醜い風貌のため、愛を求めても誰からも得られず、 自ら生きる術を手探りで探っていく。 圧巻はフェリックス一家の納屋に落ち着き、 彼らの隣にひっそり暮らしながら、 その家族の日々の営みをつぶさに見ていく中で人間的な感情を獲得 して行く過程である。 彼らが日々の労働に疲弊していることを見て、 夜中のうちに薪を集め、また雪かきをし、 彼らが驚きながらも喜びで目を輝かせているのを見ると自らも喜び を感じるようになる。 そして一家の生活の中に愛と悲しみが存在することを理解できるま でに自分の感情を育てていく。 その有り様の記述はとても興味深い。「怪物」は 彼らが声を使って自分たちの経験や気持ちを伝えていることを発見 する。言葉が相手の心に感情を喚起することに気づき、 彼らをより理解したいと言葉を獲得すべく努力を重ねる姿はいじら しいほどである。 その一家のひとりの娘がギターを弾きながら歌う歌に涙するまでに 「怪物」の感情は成熟していく。 それは赤子が家族や身の回りの人々の間で、 心身共に成長していく様を彷彿とさせるものだ。そしてまた「 怪物」は話すことと並んで読む能力も獲得していく。

彼はある日、見知らぬ旅人が残していった3冊の本を発見した。『 若きウエルテルの悩み』『プルターク英雄伝』『失楽園』である。 彼はこれらの本をフィクションではなく実話であると考えた。 そして本の内容に共感を覚えるが、 同時にあらためて自分が何者かを問い直し、 これからの自分の運命に思いを馳せる。

ところで、 このヴィクターとの対話の中でもう一つの重要な部分は、「怪物」 がヴィクターの実験室から持ち出した、 彼が生まれるまでの顛末を書き記した日記から自らがどのように創 造されたのかという事実を知ったことを語る部分である。「 神は人間を哀れみ、自分の美しい姿に似せて人間を想像した。 だがおれはおまえの汚い似姿に過ぎない。 そしてサタンにさえ同胞がいるのに自分は他から疎外されるばかり だ」と。このように知性が増すにつれて彼の失望は募っていく。

そして不幸なことに彼の醜いおぞましい風貌のゆえにフェリックス 一家に拒絶されるのに及んで、「怪物」 は怒りと復讐に取りつかれていく。しかし彼は言う、 まだ絶望はしないと。 自分の創造主に会って助けてもらおうという希望をもって後を追っ てきたという。

ヴィクターは「怪物」の、自分と同じ生き物、 伴侶を作ってほしいという願いを大いなる躊躇の末、 一旦は承諾するのであるが、その後拒絶する。絶望した「怪物」 はヴィクターの愛する者をすべて殺害し、 そしてヴィクター自身までも死へと追い込んでいく。

このアルプス山中の、ヴィクターと「怪物」との対話は、 人間が生を全うするための重要なもの、 両親をはじめ周りの人間から得られる愛情と受容されているという 安心感、 それが人の生存にとって欠くべからざるものであることを示唆する 。 そして人間は他者との関係性の中で感情や知性を獲得していくこと に思いを至らしめていく。 創造主であるヴィクターは肉体だけは作ることができたが、 怪物はまるで本能にでも導かれているかのように、 みずから感情と知性を獲得していく過程は非常に刺激的であった。 そして自分を認め受け入れてくれる存在、 愛といえばよいのだろうか、 それが満足に得られない時にひとはどのようになるのかを怪物が身 をもって体現していく様は戦慄的である。

それにしても創造主のヴィクターはどのようにして新しい人間を想 像したいという欲望にとりつかれたのだろうか。

その背景には当時の科学や機械の発達があるようである。 この小説が書かれた19世紀前半は折しもイギリスでは産業革命が 進行し、 人々の眼前には科学の力が目に見える形で驚異的なものとして現れ てきていたのではないだろうか。 そしてダーウインの進化論の発表は1859年である。 著者のメアリー・シェリーの没年が1851年であることを考え合 わせると当時のヨーロッパ社会で地鳴りのように引き起こされてい た生命観の大転換が彼女の作品に大きな影響を与えていたのではな いかということは容易に窺い知ることができる。

ヴィクターは当初は錬金術に心酔しているが、 インゴルシュタットの大学でヴァルトマン教授の薫陶をうけて化学 に目覚めていく。教授は「 自然の観察とその解明によって科学者がほとんど無限の力を手に入 れた」と言い、ヴィクターに対して科学研究に対する献身を誘う。

彼は人体の構造,生命を持つ動物の構造に興味を覚え、 生命の原理の探求欲にとりつかれるようになる。 それは生理学の分野で、 神が人間を創造したとする聖書の教えはもはや相対化されており、 ヴィクターは神に代わって新しいひとを創造することに躊躇するこ とはない。

彼は生命の起源を調べるには死についての考察が必要で、 それには解剖学だけでは足りず、人体が自然に衰え、 崩れていく姿を観察しなくてはならないと考えた。 そこから墓場を漁り、 人体の腐敗の原因と進行具合を調べる作業に没頭する。 その様は傍からは狂気にとりつかれているように見えるが、 彼にとっては当時支配的になりつつあった科学的思考を突き詰めて いった果ての実践であったようである。

彼は言う、「生と死は頭の中で作り上げた枠組み、 これを最初に突破してこの暗い世界に光の雨を注ぎ込まなければと 考えたのです。 そしてわたしは生命発生の原因を発見することに成功しました」 と。 この彼の言葉は現在目覚ましい発展を遂げる生命科学分野の研究を 彷彿とさせる。19世紀前半に書かれたこの作品からほぼ200年 を経て、彼の研究はフィクションの中のものではなく、 もはや現実そのものとなり、 わたしたちの生命に対する価値観を根底から揺さぶり続けている。 彼は人間の創造に着手した際、 体の各部分が細かすぎると時間がかかると考え、 巨大な人間を作り上げようと決断した。それが実現してみると、 美しい人間を創造しようとした意図に反して、「悪魔のような屍」 が現れて、 彼はその怪物から逃亡せざるを得ないところまで追い込まれていく 。このことはまさに拙速な生命の操作は、 人類にとって取り返しのつかない無残な結果を生むことを示唆して いるように思えてならない。

物語の終盤では、 ついに力尽き息を引き取ったヴィクターの亡骸の近くに「怪物」 が忽然と現れる。 彼は自らが多数の殺人を犯し罪に穢れていることを認め、 激しい悔恨に苛まれる自分には死以外に慰めがないと嘆く。 復讐の鬼と化したかに見えた「怪物」の複雑で繊細な感情に触れ、 果たしてヴィクターのなした創造物は失敗作だったのかという疑問 が浮かぶ。不幸にして見るも無残な外見を与えられはしたが、 彼の持つ感情と知性のありようには深い共感の念が湧いてくるので ある。

 

痣(あざ) 第1回


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暫く『痣』と題した短編を綴ります。お読み頂ければ幸いです。

 

電車が川に架かる鉄橋を渡る時は、 振動と轟音が一段と激しくなった。

折からの降り続く雨で、川の水は勢いを増している。 この私鉄の終点は山ふところに拡がっている江戸時代から製陶業が 盛んな町で、 その陶土が川に流れ込むために川の水はいつも濁っていた。 沢木は私鉄の電車の後部座席に身を沈めていた。 電車が川を渡ると両側には人家がすぐそこまで迫っていて軒に手が 届きそうである。そうした隘路を電車は軋みながら走っていく。  

しばらくして市街地を抜けると次第に家並もまばらになり、 早春のやわらかい雨にけぶる農地が拡がっていた。 沢木は途中の小さな駅で下車した。 駅舎の中には駅員が一人所在なさそうに机に向かっている。 昼下がりのせいか乗降客は少なかった。 彼が最後に改札を通過するときにその駅員はようやく頭を上げ、 切符は改札横の箱の中に入れるようにと言った。 駅前といっても商店の賑わいがあるわけでもなく、 ささやかな花壇がある広場があるだけで、 その電車を利用する通勤通学客の自転車がまるで忘れ去られたよう に駐輪場に並んでいる。彼は駅を出て南に向かった。 広い県道に出たが、やはり走っている車はさほど多くはない。 交差点を横切って数分歩くとアスファルトの道の両側はいつのまに かまた畑になって、 生えそろった麦の青々しい葉が雨に濡れていた。 空はどんよりとしてまだ風は頬を刺すように冷たい。

 

沢木は傘を差し、肩をすぼめながら歩いて行った。 すると道の前方に灰色の四角い建物が目に入った。 屋上には三本のポールが立っており、 それぞれの旗が折からの雨でぐっしょり濡れてポールにへばりつい ている。真ん中は日章旗、両脇は校旗と県旗なのだろう。 なんだか廊下に立たされてしょげ返っている三人の生徒のようでは ないかと沢木は思わず苦笑した。

日章旗には思い出があった。子供の頃、 祝日になると近隣の多くの家の玄関先にこの旗が掲げられていたも のである。古びたボール紙でできた平たい箱を母親が開けると、 中には少し色褪せて茶色がかった絹布の日の丸と、 ダチョウの卵と同じくらいの大きさの金の丸い球がおさまっていた 。別に置いてあったポールの先端にその金の丸い球をはめ込み、 旗に附属している紐を竿にくくりつければ旗竿の完成である。 玄関先に立てかけて、 雨が降ってくると母親が洗濯物と同じように慌てて取り込むのだっ た。あるとき、折からの強風で竿が倒れ、 金色の球が割れて粉々に飛び散ってしまったことがある。 球は表面に金色の塗料が塗られたガラス製であった。 母親は塵取りを持って来て手早く片付けたが、 金色の球のない日章旗はどこか間の抜けた滑稽な感じがした。 彼にとって日章旗はあの金色の丸い球と不可分のものであったから だ。 屋上の日章旗がなにかしら情けないような感じがしたのは金色の球 がなかったせいもあるのかもしれない。

 

 次回に続きます

樹 最終回



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侑子はこの手紙を何度も読み返した。 あれから十年経った今も思い出したように取りだして眺めることが ある。 初めてこれを読んだ時は早川を失うということを現実感をもって捉 えることができなかった。 これからも彼は手の届くところにいるという根拠のない確信にすが っていた。 しばらくして妻が回復し今までとなんら変わらぬ毎日が始まる。 そしてまた以前と同じような日々が戻って来るのではないだろうか 。このような考えが心を占めていた。しかし、 あれから彼はもうアトリエに戻ってくることはなかった。 いつ見ても彼の座っていた場所には彼の姿はなかった。 侑子はまるで何事もなかったようにアトリエではふるまっていた。 主宰する水谷はただ、 早川は家族が病気になったので当面は休むと簡単に告げただけだっ た。

彼の妻は結局、病になることによって夫を完全に取り戻したのだ、 病にかかることで有無を言わさない力で早川を自分からむしり取っ て行った。侑子にはそうとしか思えなかった。 彼女は凄まじい力で夫を鷲掴みし、 自らの元に帰還させてしまった。 まるであのオデッセイをカリプソ― のもとから帰還の途につかせてしまったように。 病は死がそうであるように、 本人の生活はもとよりその周りの人間の生活を大きく変える契機となり得る。 侑子は早川の妻に対して初めて感じる大きな嫉妬心を禁じえなかった。

 

いつか早川が戻ってくるのではないかという希望も数年経つうちに しぼんでいった。侑子は手紙を取り出して眺めるうちに「 利用する」という言葉に目を留めるようになった。 自分は利用されたのか、いや、そのようなことはなかった。 しかし、たとえ利用されたとしても構わない、 むしろ私はなんらかの彼の役に立っていたのかもしれないのだと考 えると心が不思議なことに落ち着いた。 利用する側とされる側という関係が二人の間に存在したと早川が考 えようとそれは自分には問題ではない。 あの日々を言葉で無理に定義し規定しなくてもよい。 単純な言葉で包んでしまった途端にそれは事実とは少し異なったも のに変質して大事なものが滑り落ちてしまう。 利用するという言葉は相手から離れて冷たく相対する時にしかでき ない行為だ。 あの日々をそのような言葉で冒涜することは許せないと初めて早川 に対する抗議の気持ちが湧き出てきた。 早川も言っていたようにあれは私の胸の小箱に大事にしまわれてい る煌めくような日々ではないか。

彼の存在は私にとって何だったのだろうか。 そのとき侑子の心の中に一本の樹木のイメージが浮かんだ。 心の中に棲んでいる樹木、 だれでも人は心の中に自分の木を持っているのではないだろうか。 その木がサワサワと音をたてるとき、 早川の声が聞こえてくるような気がする。 心のなかで小さな幼木から少しずつ成長を続け、 いつも仰ぎ見る対象となっていった。 そしてそれは時には暴風に枝葉を揺らせ、 雨が降ればそれを水分として根元に蓄え、 鳥たちを枝の中に保護し、 微風にさわさわと歌声を響かせるようながっしりした成木に成長し つつあったのだ。彼を失った痛切な感情はいつしか薄れていった。 しかし、様々な瞬間に彼の声がふと蘇えることがあった。 激しい夕立の雨の中、 自転車を走らせていたときに後ろから彼の声が聞こえてくることも あった。

 

先週、侑子は再び緑地の倒れたポプラに足を運んだ。 幹は切り刻まれたのかすでに片付けられていた。 土中に半分めり込むようにして倒れたポプラの根は重機をもってし ても引き抜けなかったという。 よく見ると根の近くの裂けた樹皮の間からあのピンクがかった新芽 が数本、やはり空に向かって伸びているではないか。 しかし箱庭のようなこの緑地では人間どもにはポプラの再生を待つ だけの余裕さえ持ち合わせていないのであろう。早晩、 なにごとも起きなかったようにポプラの根も切り刻まれて跡形もな く片づけられてしまうに違いない。そのことに思い至ったとき、 侑子の体の中にもっと大きな荒々しい自然に抱かれたいというあの 衝動が湧きあがってきた。激しい雨が降ってくると、 その中に裸で駆けていってシャワーのように浴びたいという思いを いつも抑えきれないでいる自分、 太古の時代に祖先たちがこの大自然の中で生きていた頃の遺伝子が 体の中で呼び覚まされるのか。緑の苔の上に体を横たえ、 風の音を感じ、太陽の光を浴びながら、鳥や虫たち、 さまざまな動物たちを身近に感じたい、 一体になって彼らの世界の住人になりたいという欲望が体の中から うねりのように盛り上がってくるのを感じた。 あの早川と過ごしていた日々に強く感じていたように。

 

   完

 

お読み頂きありがとうございました。

わが友、第5福竜丸


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燐光群の演劇「わが友、第五福竜丸」を観た。 劇場に足を運んで演劇を観たのは本当に久しぶりであった。 現代の喫緊の課題である核を巡る問題、 それと深く繋がる第五福竜丸事件という重いテーマを演劇という芸 術がどのように表現するのかという点に大きな興味があった。

劇の冒頭のシーンはモービル・ディックという名の喫茶店に、 謎めいた盲目の女性が現れ、店にある舵輪の由来を尋ね、 それを自らの手で操作しようと試みるところから始まる。 アメリカの小説家ハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨』 に出てくる白いマッコウクジラの綽名を冠したこの喫茶店はこれか ら始まるこの物語が、 海を舞台に繰り広げられる人間と自然の壮大なドラマであることを 暗示する。 そしてここに第五福竜丸の乗組員の最後の生き残りであった大石又七さんの作った船の忠実な模型の舵輪が存在することが何を意味す るのか、この問いが私たち観客に投げかけられ、 これから始まる劇に対する期待を膨らませる。

幾つかの暗転を繰り返しながら舞台は回転していく。被爆後、第五福竜丸が人々の記憶から忘れ去られ、 東京の夢の島に廃船として打ち捨てられていたところを市民の保存 運動の結果、 その夢の島第五福竜丸展示館が建設されたことの経緯が観客にも たらされる。そして忘れられた多くの記憶を掘り起こしながら舞台は進む。 若き科学者22人のグループが俊骨鳥丸という名の放射能探査船に 同乗して調査を進め、 放射性物質食物連鎖によってマグロの体内に蓄積していることを 実証したこと、当時の856隻にも及ぶ遠洋マグロ漁船の乗組員の 被ばくの実態はいまだ不明であること、被爆した彼らはほとんどが言われない差別に苦しみ沈黙を強いられたことなどが、 俳優たちの発する夥しい数のセリフによって語られていく。

彼らの声と体は鍛錬されたもので力強かった。 矢継ぎ早に繰り出される半ば解説的、説明的なセリフは人間の肉体から発せられたものではあるが、 初めはなにかしら拡声器を通して語られる無機的な響きのようで微かな違和感があった。しかし、 その奔流のようなセリフの洪水の中に身を置いていくうちに、 次第にそのセリフの数々が劇中の印象深い幾つかのシーンの理解と 深く繋がっていることを実感するに至った。

舞台はこのような幾つかの忘れられた記憶を私たちに再び蘇らせて いく。そして展示館の第五福竜丸が突然姿を消してしまったことが告げら れる。一体なぜ、そしてどこへ?舞台は暗転した。

再び明るくなった舞台上に、今、私たちが生き、 生活している時代に第五福竜丸は忽然と姿を現す。 そして私たちの今の現実も放射能の恐怖から自由になってはいない どころか市民の日常の生活の中に音もなく忍び寄り、 多くの人を脅かしていることを俳優たちの畳みかけるような大量な セリフが報告する。 そのセリフは核の平和利用と言いながら福島をはじめ世界の様々な 地域で汚染のため故郷を追われる人びとが出ている現実、 それからの出口が見えず、多くの科学者が沈黙している中で、 第五福竜丸の存在を思い出すことが私たちの希望に繋がることも示 唆する。

そして劇は最後の被爆時を再現した群像劇で終焉に向かう。 総トン数僅か140トンの木造船が23名の乗組員を乗せて航海中 に、 アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し 多量の放射性降下物を浴びた。 その第五福竜丸の乗組員が遭遇する被爆の場面、彼らは当初、 なにがおこっているのかを理解できなかった。 しかし普段と明らかに異なる海と大気の様子にただならぬものを感 じ取り、それがついには水爆実験であることを知る。 彼らが異変を水爆実験であったと知った時の恐怖と驚愕、 救援を求めれば国家という大きな権力(それがアメリカであれ日本 であれ)が彼らを抹殺するであろうことを彼らは本能的に察知した 。巨大な漁場を目前にしながら空手で去らなければならない無念、 それらの動揺や感情のさまざまな揺らぎが役者の肉体を通して観客 にもたらされた。 それは演劇表現の可能性を大きく感じさせるものである。

この最後のシーンと同じく印象的なのは、 被爆した高知の漁師が自分の娘を放射能由来と思われる原因不明の 病で亡くし、 孫娘になぜ被爆の事実を公にしなかったのかを問われて苦悶する姿 である。 第五福竜丸以外の被爆した多くの漁船の乗組員には補償金が払われ なかったなかで高知の漁民たちが勇気をもって訴訟に踏み出すとい う事実も併せて提示される。 人々の人間的な葛藤が俳優の体を通して表現されるとき、 それが私たちの理解を頭だけのものにせず、直接、 感情に訴えかけて魂を震わせる。

この劇は私たちがいのちをつなぐために身を挺して大海原に漕ぎ出 していった人々がいたことを忘却のなかから掘り起こして私たちの 記憶を新たにした。 そして最近私が知ったまた別の事実は歴史を見る目を複眼的にする。 それは占領軍の総司令官であったマッカーサーが日本人のたんぱく 質不足を解消するためにアメリカ海軍のタンカー2隻を捕鯨船に改 造することを許可し、 日本人を南氷洋捕鯨に従事させることで戦後の日本人の飢えを救 うことに寄与したことである。

そして劇は、生きんがために人間は海に漕ぎ出したが、 その海が今人間の行動により核物質をはじめ様々な大きな汚染に晒 されていることに私たちの想像力を運んでいく。 海を人間がこのようにして汚していいものかと重く問いかける。

芸術はプロパガンダではない。 演劇の言葉はプロパガンダであってはならない。演劇は私たちに、 混沌とした現実を読み取る新しい視点を提供してくれるものではあ るが、あくまで観客の主体的判断が尊重されるものである。核を巡る問題を演劇で扱うことは非常に繊細で難しいということは 容易に想像できる。 あの事実についての夥しい解説と説明のセリフは、 劇中で繰り広げられる人間の営みの描写をより際立たせるための重 要な道具立ての一つであった。 白鯨のエブラハム船長のように海に果敢に挑戦していった人々がい たこと、 私たちはこのような人々のプライドと勇気のおかげで命を繋いでき たという事実の再確認、 そして核がその命の連環を根本的なところで破壊するということか ら到底容認することはできないという思い、 そういう様々なことを喚起させられた。

 

劇場に何故足を運ぶか、 単なる情報を得るためになら書物などの媒体のほうが圧倒的に合理 的で効果的であることは疑う余地のないところである。 これに対して演劇は人間の肉体、とりわけ言葉も人間の声、表情、 体の動きを通しての表現であることから、 そこには書物とは異なる感覚的、 直覚的な対象に対する理解がある。 最後の乗組員の被ばく場面では海の吼えるような波音が轟いていた 。 海は人間の犯しているこのような蛮行を許してはくれないだろうと いう懼れ、 自然を冒涜することの恐ろしさをまざまざと感じさせる幕切れであ った。

 

 

 
 

樹 第28回


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早川からの手紙が届いたのはそれから半年後のことである。 突然約束を守ることなく姿を消したことについてまず初めに謝って いた。そして妻があの日心筋梗塞で倒れたこと、 集中治療室に付き添っていたため連絡ができなかったことを詫びて いた。一命をとりとめたものの、 通常の生活を取りもどすためにはずいぶん時間がかかることと身体的な援助のみではなく精神的な支えが必要なためアトリエは止める ことにした旨が綴られていた。

 

今まで話すことはなかったけれど、 実は僕たち家族は一つの大きな未解決の問題を抱えていた。 それは娘がカルト集団に入信し、隣国に行ってしまったことだ。 娘とは心から通じ合うということはもうできなくなってしまった。 彼女は自分の心を他人に売り渡してしまったとしか考えられなかっ た。 なぜこのようなことになってしまったのかを夫婦でいくら話し合っ てもわからなかった。 娘は手触りのない何かツルンとした無機質な物体になってしまった ような気がした。 語りかけてもその言葉が届いている感触を掴めなかった。 日本を出て行ってからは次第に大きな喪失感に捉えられるようにな り、 僕たちはこの降って湧いたまるで事故のような出来事を話題にする ことが疎ましくさえなっていた。 忘れた振りをすることでなんとか日々を送ってきたと言える。 しかしながら、 しばらくして娘がむこうで結婚してできた子供を伴って帰国するた びにその喪失感を再認識させられ、 せっかく塞がったと思われていた傷口はその都度またむりやりこじ 開けられ傷口はより深くなっていった。そして次第に化膿し、 膿が噴出するようになり、それは我々二人の日常を浸潤し、 悪臭を放つようになっていた。お互いの顔のなかに、 まるで自分の腐りかけた心の内を見ているような気持ちに襲われて 恐怖さえ覚えるようになった。 その恐怖を克服しようとして僕たち二人はお互いに相手を憎むよう になっていった。 家の中はまるで地獄の様相を帯びてきたといえる。 僕がカラタチの絵を描いていたことを覚えているだろうか。 あれはその頃のどうしようもない家族の関係を反映していたのかも しれない。 散歩の途中でカラタチの生垣を見たときはその棘の絡まる様子に自 分の心を重ねた。 カラタチが以前からの親しい友人のような親近感さえ覚えた。 妻に向かって噴き出していた憎しみをなんとか軌道修正しなければ 自分がなにをしでかすか分らないというところまで追い込まれてい たのだ。 カラタチを描くことでその憎しみに水路を与え放流させようとした ということなのかと今にして思う。 そして憎しみの奔流に押し流されそうになっていた僕が掴もうとし た藁が侑子,君だと言ったら、君は怒るだろうか。 私を利用しようとしたのかと。 結果から言えばそうだとしか言えないのかもしれない。 けれども言い訳に聞こえるかもしれないが、 君を好きであったことは紛れもない事実だ。 君があの演習林のなかで苔の上に横になって、 地面の匂いを嗅いだり、樹木の幹に頬を寄せていた時、 僕はその苔になりたい、 樹木になりたいと心から切望したことにごまかしはなかったという ことは信じて欲しい。

けれども妻に保護が必要になってしまった今、 この人を放置することはできないのだという思いが次第に強くなっ ている。 自分たち家族の問題に君を引きずり込んでしまったことを謝罪しな くてはと思っている。君はなんと言うだろうか、 やはり私を利用したのかと言うのかもしれないね。 そう言われてもただ頭を垂れるのみだ。済まなかった。 僕はあのアトリエを止めることにした。 そうしないとたぶん僕はいつまでも君を自分の傍らに留めてしまい たくなるであろうから。 そのようなことになれば君から軽蔑される日が遠くないことであろ う。君から軽蔑されることだけはなんとか避けなければならない。 そうしないとあの煌めくような日々も色褪せた鉛のようなものに変 質してしまい、 そこにまた新たな憎しみが生まれてくることを懼れるのだ。 身勝手な申し出だということはよくわかっているが、 再度憎しみが迸ることになることに出会う勇気はもう僕にはないの だ。

 

  次回に続きます

樹 第27回


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木枯らしが数日前に吹いて、 紅葉したナンキンハゼの葉を一夜にして落葉させてしまった。 侑子は早川と待ち合わせをしていた。 先ほどから一時間ほど本を読みながら喫茶店で待っていたが彼は現 れなかった。携帯で連絡をとろうとしても通じることはなかった。 時間が経つにつれて次第に周りの人達のさざめきがガラスの膜の向 こうの出来事のように感じられてきた。 その膜を突き破らないと彼らと同じ世界に存在できないのではとい う不安に苛まされ、 読んでいたはずの本も手につかなくなっていた。 胸の中に冷たい風が吹いてくるようで自分が吹雪の中で遭難してし まった旅人のように感じられた。 テーブルの上のコーヒーも冷たくなり、 口に運ぶ気にはなれなかった。突然、 早川の妻がなにか行動に出たのではという考えが浮かんだ。 このところ、 この考えがいつも頭の片隅にあったことに侑子はいまさらながら気 がつくのであった。 しばらく待っていたが侑子は諦めて席をたった。 自分だけがガラス膜に隔てられたなかに閉じ込められた感覚は続い ていた。どこをどう歩いていたのか分らないまま家にたどり着き、 居間のソファに倒れるように座り込んだ。その時、 ふと壁に飾ってある写真のトラフズクが自分をじっと見つめている のに気付いた。 彼らは日中は木の葉蔭に隠れるようにじっと動くことなく止まって いる。カラスに突かれても抵抗できないほど昼間は弱々しい。 ところが夜になると彼らは豹変する。 黄色味を帯びた大きな目を見開き、狩りを始めるのである。 昆虫や、 ネズミなどの小動物を音もなく急襲し二つの鋭い前足で獲物を剪み こむ。 侑子はこの部屋の中で彼らに襲われるのではないかという気持ちに なり身震いした。シャワーを浴びることもなくベッドに入ったが、 一晩中トラフズクから逃げまどう夢にうなされた。 大きなアラカシの木の根もとに倒れたところを襲われ何度もその鋭 い爪と嘴で体を突かれ引きちぎられた。 侑子は絶望的な悲鳴をあげ、 その鳥に助けを請うたが鳥は容赦することなく攻撃し続けるのであ る。トラフズクは驚いたことによく見ると早川の妻であった。

翌日から何度試みても早川とは連絡はつかなかった。 アトリエにもそれ以後現れることはなかった。

 

 次回に続きます