樹 第8回


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侑子がキビタキの絵を出展した同じ展覧会には、早川がカラタチの木の連作を何点か出していた。季節ごとにこの植物がどのように姿を変えていくのか、それを丹念に追った彼の絵は来場者の衆目を集めていた。春、緑のアクリルの絵の具を流したような緑色の茎から小さな緑の葉と白い花がまるで吹き出すように出現する。そして夏には小さな青い実を幾つもつける。その実は秋には黄金色に染まり甘やかな香りを発散し、やがては地上に落下する。そして季節は巡り、冬には黄色くなった葉も落ちてカラタチはもとの裸木に戻る。棘がむきだしになり、それが幾重にも絡み合う。まるで抜き差しならぬ関係に陥ってしまったとでもいうように。彼の描くカラタチは、もう他を寄せ付ける余地はないとばかりにこの冬の絵で爆発していた。その連作に圧倒され侑子はしばらくその場に立ちすくんでいた。


薬剤は学生の頃に学んだものとは大きく変化している。侑子は少し前までは総合病院の薬剤部に勤務していたので、今とは比べものにならないほどのたくさんの種類の薬を扱っていた。特に近年、漢方薬は処方が増えており、様々な生薬を組み合わせた顆粒状になって飲みやすくなっている。西洋医学の薬剤がなにかしら尖った無機的な味がするのに比べて、独特の動植物由来の味がする。ただ甘草などは血圧を上げるとも言われ、漢方といえども副作用と無縁ではなかった。客の求めるすべての薬剤が常備されているとは限らないが、足りない時は電話一本で問屋からバイクで気軽に届けてくれる。先ほど運ばれてきた薬の中にも漢方薬の箱がいくつもあった。

 

侑子は子供の頃、様々な木の実やアケビなどを求めて野原を駆け回ったことを思い出した。よく膝小僧を擦りむいては、近くに生えていた血止め草と呼ばれていた植物の葉を押し付けていた。植物由来のものばかりではなく麝香鹿の睾丸が精力剤になったり、熊の胆が健胃薬に使われたりする。哺乳動物には共通の細胞の性質や作用があるのだろう。長い人間の経験の歴史から蓄積された知識の集積が漢方なのだ。彼女は現在の自分の仕事の奥深さを感じていた。

 

侑子はほかの薬剤師と一緒に、次々と訪れる客の処方箋を注意深くさばいていく。客が急いでいても、注意を疎かにすることは許されない。誤って処方し、大きな事故に繋がったケースをいつも念頭に置きながら仕事に臨んでいた。以前、娘に薬学部に入ったらとすすめたことがあった。そのとき娘が、「私は粉をかき混ぜてお金を貰おうとは思わないわ」と笑いながらやんわり断ったことを思い出して苦笑した。つくづく親子といえども考えが異なるものだと思って、それからは娘の選択に口を出すことはなかった。

 

  次回に続きます