樹 第26回


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侑子は職場からの帰り道、橋の上から川面を時々眺めるのだった。 河川の水量を調節するために作られた堰の周辺を見ると、 白い鳥がいることに気がついた。コサギだ。 堰の周辺は段差になっており、 そこに集まる魚をめがけて狩りをしているらしく、 ときどき水の飛沫が上がっていた。 よく見ると川面の真ん中にも二羽がおり、 合わせて三羽のコサギがいた。河原に目を転じると、 しばらく前に草刈り機で刈りそろえた草原が、 ちょうど少年の坊主狩りの頭が少し生えそろってきたかのように一 斉に少しばかり伸びているのが見て取れた。 その薄く霞んだ灰緑の中に点々と白いタカサゴユリが咲いている。 空は雨雲が垂れこめてしとしとと細い雨が音もなく濡れそぼってい た。川面ちかくの空にはコウモリも数多く飛んでいる。 橋を渡る車もライトをつけ夕暮れの墨絵のような風景の中を静かに 移動していた。 細かい雨粒が霧状になって侑子の髪や衣服に纏わりつき、 彼女は傘を橋の上から投げ捨ててしまいたいような衝動に駆られた。

翌日は晴れて、侑子は昨日と同じように橋の上に立っていた。 夕日が西の空の雲を様々に染めながら沈んでいく。 時には赤黒くたなびくように地平線上に雲が伸びてその陰から太陽 が自らの落下を惜しむかのように強い光を放っているのであった。 その夕焼けを見ていると、 侑子はいつしか自分の心の中で赤黒い太陽が炸裂して粉々に飛び散 る様を思い浮かべた。

その夜侑子は不思議な夢を見た。 早川の妻が髪を風になびかせながら、道の向こうから歩いてくる。 あのラフレシアの無機質な雰囲気は消えていた。 夜の闇の中で不安に怯えているような眼であたりをみまわしている 。 驚いたことに道路のブロックは近くに生えている街路樹の根っこの エネルギーに負けて上に持ち上がり、 空に向けて吹き飛ばされている。 街路樹として植えてあるプラタナスの根がブロックを持ち上げ、 昼間、 自転車でそこを走るときはまるでこぶのようにでこぼこして転びそ うになったことを侑子はまざまざと思い出していた。 まるで樹木の持っているエネルギーが人間の作り出した文明に抗っ ているかのようである。

しばらくすると早川の妻はおずおずと池の近くにある湿地に足を踏 み入れた。そこには一面黄色の花が咲いており、 その中にガマが茶色の穂をつけてすっくと伸びている。 彼女は沼地を出るとあたりをおどおどしながら見まわしていた。 すると今度はコナラの木の根元に座った。 それからゆっくり立ち上がり、 まるで夢遊病者のようになって森の木々の中をいつまでも彷徨って いるのだった。

侑子は眼を覚ますとカーテン越しに夜が白々と明けているのがわか った。なぜこのような夢をみたのだろうか。 妻は夜の森の中でひどく孤独のようにみえた。 豊かに繁る樹木に抱かれることもなくただゆらゆらとあてもなく彷 徨っていた。

 

  次回に続きます